天皇陛下の大御心

天皇というのは敬語が使えない。なぜなら自分より目上の人間が(国内には)居ないからだ。

天皇が主催する園遊会には顕著な成績を上げたスポーツ選手や各界の功労者などが招待される。天皇がその人たちに「今後もご活躍ください」とは言えない。「ください」とは自らをへりくだった言い方だから。こういうとき昭和天皇なら「今後も活躍することを希望します」と、言った(さすがに戦後は「します」と丁寧語は使う)。今上天皇もめったに敬語を使うことはない。それでも「ください」をときに使う、たぶん歴代で初めての天皇ではないかと私は思っている。

園遊会といえば天皇陛下は2004年秋の園遊会の席上、東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄さん(61)から「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけられた際、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べた(朝日新聞 2004年10月28日)。米長氏は石原東京都知事(当時)の下、都立校の式典での「日の丸・君が代」強制を進めてきた人物。天皇からのお墨付きを狙ったのか、あてが外れたようだ。

自民党の「日本国憲法改正草案」や維新の目指す「自主憲法」では天皇を元首に仰ぐそうだ。安倍、石原、橋下などは教育現場で「日の丸・君が代」強制の先鋒だが、諸君に言いたい。

恐れ多くも天皇陛下の大御心を何と心得るか。

Posted on 22 Sep 2013, 9:52 - カテゴリ: 右傾化とハシズム
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投票行動

国民を裏切った民主党の惨敗。その代わりに国民は自公政権を選んだのか。

ところが票数で見ると自民党も、公明党も前回2009年から減らしている。自公民3党連合にNOの意志はちゃんと投票行動に現れている。

民主党は比例で2000万票失っているが、そのうち1000万票は今回棄権。残り1000万票は「維新」や「みんな」に行ったということのようだ。

自民党も、公明党も得票を減らしながら、それでも議席で圧勝は選挙制度の歪み。

Posted on 28 Dec 2012, 20:17 - カテゴリ: 選挙制度
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政治を変える

原発推進勢力が国会で多数を占める中、一時はすべての原発が止まった。その力になったものが何であったかを思い起こそう。

福島第1原発の過酷事故を予見した吉井英勝議員の警告は、残念ながら事故を未然に防ぐことはできなかった。しかし事故後この国会質問の記録がネットで話題になり、あの事故は天災ではなく人災だったことが衆知となった。原発技術の未熟さ、安全基準の甘さが問題となったことで原発の再稼働はできなくなったのだった。

途中で玄海原発が再稼働されようとしたとき、いわゆる「やらせメール」の内部告発が『しんぶん赤旗』に持ち込まれ、国会でも取り上げられて再稼働が断念されたこと、ネットに端を発した官邸前抗議行動、大阪市長、滋賀県知事などの裏切りで大飯原発が再稼働されたことなども大きなエピソードだ。その中でも吉井議員の国会質問の意義は大きい。

ところで吉井議員は2005年の総選挙で比例近畿ブロック定数29の最下位で当選している。この議席がなかったら、あの歴史的な国会質問も無かったかもしれない。

あなたの1票、さらに家族、友人、知人の5票、10票が、あるいはたったの1議席が政治を変え、歴史を変える。この力を確信しよう。

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1票だけじゃない


Posted on 20 Dec 2012, 12:04 - カテゴリ: 政治
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道州制

あまり争点に上がってこないのだが、各党の政策を見ると「道州制」という言葉が並んでいる。道州制を目指すということはすなわち憲法を変えようとしているってことね。

道州制の内容に踏み込むことはここでは避けるけれど、私が気になることを一つ書いておく。これを述べるときに「地方分権」が枕詞になっているが、「地方自治」とは決して言わない。国の「統治機構を変える」のだとか。

現行憲法に「地方自治」は記されているが「統治」という言葉はどこにも無い。これは戦前の大日本国憲法で使われた言葉だ。

大日本国憲法第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

右翼政治家がこの言葉を使うのはともかく、マスコミ論調にも批判抜きでこの言葉が登場することに空恐ろしいものを感じる。例えば『社説:2012衆院選 日本の針路…統治の仕組み』(毎日新聞社説 2012年11月26日)など。

ところで、大阪市を潰す大阪都構想をメインイシューに結成した地域政党が、国政に進出するにあたって、その大阪府(都?)を潰す道州制を掲げているのは苦笑するしかないのだが、その骨太方針とやらもあきれるものだ。

憲法改正(……条例の上書き権…) (骨太2013〜2016、p7)

じっさい大阪には憲法が通用しないのかと思われるひどいことになっているのだが。条例が憲法を無視してよいということは、国家そのものの否定ではないか。こんどは国をつぶしますか……。


Posted on 1 Jan 2013, 10:21 - カテゴリ: 右傾化とハシズム
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国防軍(2)治安出動

暴走老人曰く「今度の選挙で自民党が過半数を取るのだろう。そしたら憲法を改正して欲しい。我々も賛成しますよ。」と、言うので自民党の「日本国憲法改正草案」を見てみた。天皇を元首とするとかいろいろ物議はあるけれど、現行憲法9条をどう変えようというのか、「国防軍」とは何かが気になって一読し、おったまげた。

日本国憲法改正草案第9条第2項: 前項(戦争の放棄)は「自衛権の発動を妨げるものではない」

「国防軍」は続く第9条の2で規定している。

日本国憲法改正草案第9条の2: 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する

ふむふむ。他国から攻められたときに出動するのが国防軍ね。だが、他に2つ、国防軍が出動するケースがある。

日本国憲法改正草案第9条の2第3項: 「国防軍は、第1項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。」

前半は「集団自衛権」すなわち日本が攻められなくともアメリカの仕掛けた戦争にも派兵できるというもの。ここまではすでに見たとおり。

第9条の2第3項の後半には重大なことが書かれている。「公の秩序」「国民の生命もしくは自由」を守るためならば国内で自国民に対しても銃口を向けても良いとされる。

戦前の大日本帝国憲法下で軍隊は天皇の指揮下にあり、憲法の外だった。その軍隊は中国大陸やアジア各地で、朝鮮半島と台湾で暴虐を尽くしたが、日本国内(本土)で自国民に銃口を向けることは(あまり)なかった。それは特別高等警察の仕事だった。
軍隊が自国民に対して銃口を向けてはならないというのは近代国家の常識(映画『マーシャル・ロー』などを見よ)。改正憲法を起草するなら、それくらいの常識は持ち合わせてほしい。

近代国家の常識を記しておく。国民の生命と財産を守るために近代国家には3つの組織がある。警察と消防、それに軍隊。この3つの分担は、国民の生命、財産を脅かす相手が誰かによる。それが不逞の輩=人間の場合は警察、その他の事故や自然災害、あるいは病気などの場合は消防が管轄となる。軍はそれが他国の場合に限られる。自国民に銃口を向けることができるのは警察だけ。あるいは消防はたとえば延焼を防ぐために隣家の住民を追い出し、家屋を強制的に壊すことも許される。

しかし、軍は自国民に対していずれの強制力も行使することができない。これが歴史の経験を経ての近代国家の常識だ。老人ひとりの暴走ならばともかく、これが一政党の正式決定の案とは日本も恐ろしい時代に入ったものだ。


Posted on 27 Oct 2016, 23:21 - カテゴリ: 国防軍
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