選挙制度とマスコミ
1994年に導入された小選挙区制と政党助成金が日本の政治をダメにしたと、私は書いた。この「政治改革」を提言したのが「21世紀臨調」。政財界などを総動員した陣容で、事務局は労務管理政策などで名を馳せる財界のシンクタンク「日本生産性本部」。そういえば、「やらせメール」の舞台となった玄海原発再稼働に関する説明番組も、この日本生産性本部が請け負っている。
この「21世紀臨調」のメンバーをウィキペディアで一瞥してみると、政財界とともにマスコミ関係も多いことが分かる。政府の正式諮問機関である第8次選挙制度審議会にも、マスコミ関係者が主要全国紙については根こそぎと言ってよいほど参加している。すなわちマスコミを取り込んで「政治改革」の案を取りまとめ、その力で国民世論を誘導して実施するという構図が見える。
このことに触れたブログをひとつ紹介しておく。
財界、21世紀臨調とマスコミの関係」テレビ・マスコミの現状にガッテン!!
マスコミを用いた世論誘導は世の常だが、日本では主要全国紙がテレビをも所有しているなど特有の問題もあると、日本共産党志位委員長は指摘している。
日本の巨大メディアを考える
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天皇陛下の大御心
天皇というのは敬語が使えない。なぜなら自分より目上の人間が(国内には)居ないからだ。天皇が主催する園遊会には顕著な成績を上げたスポーツ選手や各界の功労者などが招待される。天皇がその人たちに「今後もご活躍ください」とは言えない。「ください」とは自らをへりくだった言い方だから。こういうとき昭和天皇なら「今後も活躍することを希望します」と、言った(さすがに戦後は「します」と丁寧語は使う)。今上天皇もめったに敬語を使うことはない。それでも「ください」をときに使う、たぶん歴代で初めての天皇ではないかと私は思っている。
園遊会といえば天皇陛下は2004年秋の園遊会の席上、東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄さん(61)から「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけられた際、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べた(朝日新聞 2004年10月28日)。米長氏は石原東京都知事(当時)の下、都立校の式典での「日の丸・君が代」強制を進めてきた人物。天皇からのお墨付きを狙ったのか、あてが外れたようだ。
自民党の「日本国憲法改正草案」や維新の目指す「自主憲法」では天皇を元首に仰ぐそうだ。安倍、石原、橋下などは教育現場で「日の丸・君が代」強制の先鋒だが、諸君に言いたい。
恐れ多くも天皇陛下の大御心を何と心得るか。
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投票行動
国民を裏切った民主党の惨敗。その代わりに国民は自公政権を選んだのか。ところが票数で見ると自民党も、公明党も前回2009年から減らしている。自公民3党連合にNOの意志はちゃんと投票行動に現れている。
民主党は比例で2000万票失っているが、そのうち1000万票は今回棄権。残り1000万票は「維新」や「みんな」に行ったということのようだ。
自民党も、公明党も得票を減らしながら、それでも議席で圧勝は選挙制度の歪み。
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政治を変える
原発推進勢力が国会で多数を占める中、一時はすべての原発が止まった。その力になったものが何であったかを思い起こそう。福島第1原発の過酷事故を予見した吉井英勝議員の警告は、残念ながら事故を未然に防ぐことはできなかった。しかし事故後この国会質問の記録がネットで話題になり、あの事故は天災ではなく人災だったことが衆知となった。原発技術の未熟さ、安全基準の甘さが問題となったことで原発の再稼働はできなくなったのだった。
途中で玄海原発が再稼働されようとしたとき、いわゆる「やらせメール」の内部告発が『しんぶん赤旗』に持ち込まれ、国会でも取り上げられて再稼働が断念されたこと、ネットに端を発した官邸前抗議行動、大阪市長、滋賀県知事などの裏切りで大飯原発が再稼働されたことなども大きなエピソードだ。その中でも吉井議員の国会質問の意義は大きい。
ところで吉井議員は2005年の総選挙で比例近畿ブロック定数29の最下位で当選している。この議席がなかったら、あの歴史的な国会質問も無かったかもしれない。
あなたの1票、さらに家族、友人、知人の5票、10票が、あるいはたったの1議席が政治を変え、歴史を変える。この力を確信しよう。
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1票だけじゃない
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道州制
あまり争点に上がってこないのだが、各党の政策を見ると「道州制」という言葉が並んでいる。道州制を目指すということはすなわち憲法を変えようとしているってことね。道州制の内容に踏み込むことはここでは避けるけれど、私が気になることを一つ書いておく。これを述べるときに「地方分権」が枕詞になっているが、「地方自治」とは決して言わない。国の「統治機構を変える」のだとか。
現行憲法に「地方自治」は記されているが「統治」という言葉はどこにも無い。これは戦前の大日本国憲法で使われた言葉だ。
大日本国憲法第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
右翼政治家がこの言葉を使うのはともかく、マスコミ論調にも批判抜きでこの言葉が登場することに空恐ろしいものを感じる。例えば『社説:2012衆院選 日本の針路…統治の仕組み』(毎日新聞社説 2012年11月26日)など。
ところで、大阪市を潰す大阪都構想をメインイシューに結成した地域政党が、国政に進出するにあたって、その大阪府(都?)を潰す道州制を掲げているのは苦笑するしかないのだが、その骨太方針とやらもあきれるものだ。
憲法改正(……条例の上書き権…) (骨太2013〜2016、p7)
じっさい大阪には憲法が通用しないのかと思われるひどいことになっているのだが。条例が憲法を無視してよいということは、国家そのものの否定ではないか。こんどは国をつぶしますか……。
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