シンデレラはフランス語を話せる?
ディズニー映画『シンデレラ』実写版(2015)の冒頭に、主人公エラに父親がフランス語を教える場面がある。シンデレラはフランス語を話せるのか?それは話の舞台がどこなのか、シンデレラはどこの人なのかに依る。舞台がフランス語圏ならば、フランス語を話すのは当然で、問題にならない。
ディズニーのシンデレラ物語はペロー童話をベースにグリム童話からのエピソードやアイテムを拝借している。ペロー童話は17世紀のフランス。ディズニーアニメ『シンデレラ』(1950)はこの時代設定を基本としている。このアニメ版については別記事を起こす。
『シンデレラ』実写版はディズニーのロンドン撮影所で制作されたこともあって、衣装は19世紀の英国のファッションがモデルになっているという。英国に限らず17~19世紀のヨーロッパでフランス語は国際語として、とりわけ社交界では基本の素養だった。
上流階級の出の継母が舞踏会用のドレスを仕立てるにあたって、シンデレラに対しフランス語をひけらかす。「どうせお前はフランス語もできないくせに、舞踏会に行こうなど分不相応」と思い知らせたかったのだろう。それに対し主人公もフランス語で返して驚かせている。父親が貿易商で、主人公エラにフランス語を教えていたとは、あてが外れた。

Youtube
ところが、この実写版の舞踏会の場面でフランス語がいっさい使われていないのは、一連の流れとは整合がとれず残念だった。
舞踏会で森の少女と再会した王子は、たぶん政略結婚相手であるサラゴサ国シェリーナ王女(サラゴサはスペインの地名で、演じる女優はスペイン人)のために用意したであろう大仰なセリフをたどたどしく、主人公をダンスに誘う。ここは本来ならフランス語でしょう。しかし映画は英語で。
Your Highness...
If I may,
that is,
it would give me the greatest pleasure,
if you would do me the honor
of letting me lead you through this...
the first...
Dance?
Yes, dance.
That's it.
Movie Script
If I may,
that is,
it would give me the greatest pleasure,
if you would do me the honor
of letting me lead you through this...
the first...
Dance?
Yes, dance.
That's it.
映画冒頭で父親は娘エラをフランス語でダンスに誘い、エラはフランス語で「喜んで」と答えている。しかるに、この舞踏会の場面で、王子は英語だし、エラの返事は無言でうなづくだけ。なんのためにフランス語を習ったのか、まったく意味をなしていない。
追記
映画冒頭で父親が娘エラをフランス語でダンスに誘い、エラもフランス語で答えている場面、日本語吹き替えでは「シル・ヴ・プレ(お願いします)」と、している。
オリジナルは舞踏会での定型的答えである「アヴェク・プレジール(喜んで)」なのだが……。この他にも日本語吹き替えの変ちくりんなフランス語は気になる。
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シンデレラのスカート丈
初出: 4 Sep 2019
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シンデレラの本名
「シンデレラ」は継母たちが付けたアダ名。「シンデレラの本名はElla」だとネット上で書かれているが、これはディズニーが創り出したもので、下敷きとなったペロー童話、グリム童話でも主人公の本名は明かされない。2015年公開のディズニー『シンデレラ』実写版の主人公の名前は「エラ」。主人公を個性輝く女性として描いているので、どうしても本名が必要だったのだろう。「シンデレラ」と渾名された理由も映画の中で明かされる。灰を意味する cinder と主人公の名前 Ella を合わせて cinder Ella → Cinderella だという。
Cinderella の -ella は接尾辞。「どじょっこ」だの「ふなっこ」の「っこ」の部分で、それ単独では意味をなさない。 たまたま Ella が人名としてありそうな名前なので、 cinderella = cinder + Ella というこじつけが成立する。 エラがシンデレラになったのではなく、本当のところは「シンデレラ」から「エラ」が生まれた。
このこじつけも英語圏でこそ成立するが、他の言語、たとえばフランス語ではペロー童話の Cendrillon (サンドリヨン)が通用している。cendre は灰の意で、 -illon は小娘を意味する接尾辞。全体で「灰っこちゃん」となる。本名 illon というわけにもいかない。
『シンデレラ』実写版のフランス語吹き替え、あるいは字幕はそこのところをどうしてるのか。いらぬ心配をしていると、ネット上で実写版のフランス向け予告編を見つけた。フランス語版でも主人公の名前は英語版そのままに Ella としている。

(dailymotion より)
- Cendre(灰)Ella
- Ella souillon(売女)
重なる Ellaを省き Cendre souillon → Cendrillon。
ここのところの英語は
- Cinder Ella!
- Dirty Ella!
- Dirty Ella!
だったから、名訳と言えよう。
ちなみにドイツ語版はグリム童話の主人公名 Aschenputtel(灰かぶり娘) をあえて用いず、ディズニーの Cinderella をそのまま使っている。
- Zinder(灰) Ella!
- Zinter Ella!
と、繰り返し Cinderella! へと繋ぐ。
王子には本名を名乗らない
実写版の中で王子に主人公がその本名を名乗ることはない。王子に名を問われる機会は3度ある。最初に出会った森の中。日本語吹き替えでは次のようになる。
「君のことをどう呼べばいい?」
「名前なんかどうでもいいわ。」
悪くない翻訳だが、主人公エラがなぜここで答えをはぐらかしたのか理解しづらい。

Youtube
英文では次のようになる。(Movie Script)
- Miss, what do they call you?
- Never mind what they call me.
- Never mind what they call me.
英語に限らずヨーロッパ系言語で「君の名は」と聞くのは無粋なので、「みんなはあなたのことを何て呼ぶの?」という聞き方がある。
この直前に主人公は継母たちからシンデレラ、すなわち「灰かぶり」と呼ばれていたから、「みんなが私のことを何て呼ぼうと気にしない。」という答えになるのだ。
ここで王子は自分のことを「キット」と名乗る。これはたぶん父である王様が我が子を親しみを込め kid と呼んでいたからだろう。kid は「キット」と聞こえる。きっと。
2度目は舞踏会で再会し、秘密の花園からの別れ際。
「君は、本当は誰なんだ?」
「それを言うと、すべてが変わってしまうと思うの。」
相手が王子だと知った今、魔法の力で身なりを整えてはいるが自分は「灰かぶり」と呼ばれる村娘。それで躊躇したのだろう。
最後は生家で発見されて。このときは自分の身上をきっぱりと告げる。魔法の力など借りず。
「私はシンデレラ。王女じゃないし、馬車も、両親も持参金もありません。」
灰かぶりと呼ばれる、ただあなたを愛する実直な村娘。そんなありのままの私を受け入れてくれますか?と。
「もちろん。」と、王子。「もし、あなたも私をありのままに受け入れてくれるならば。」
「シンデレラ=灰かぶり」という渾名をめぐって、主人公の心境の変化がうかがえる。
いつから「エラ」が本名に?(2020-10-23 追記)
主人公の名前が「エラ」であるのは 2015年の実写版が最初ではない。
英語ライフ の記事によると、この記者が持っているディズニーの子供向けの洋書『Cinderella』に「奥さんに先立たれた紳士と美しい娘Ella(エラ)が住んでいました」と書かれているという。
there lived a widowed gentleman and his lovely daughter, Ella.
いっぽう、1950年のディズニーアニメでは冒頭、絵本を開いて読み上げる体裁で物語を始める。

(movie)
there lived a widowed gentleman and his lovely daughter, Cinderella.
こちらでは娘の名は最初から「シンデレラ」となっており、全編を通じて「エラ」は登場しない。
1950年のアニメ公開後のどこかの時点で本名「エラ」が登場したものと思われる。
関連記事:シンデレラはフランス語を話せる?
シンデレラのスカート丈
初出:29 Aug 2019
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なみはや号へのレクイエム
平成元年(1989年)に、「大阪市なみはや号プロジェクト」という大規模な企画があった。5世紀前葉と思われる古墳から出土した舟形埴輪を原型に実物大の古代船を復元。大阪から韓国の釜山までを航海するというもの。7月8日に大阪港天保山出航、8月11日に韓国の釜山港に入港。無事成功したかに見えた。参考:古代船「なみはや」物語
その10年後、ことの顛末が明らかとなる。
実際に海に浮かべて漕いでみますと、非常に安定が悪く、そのうえなかなか進みません。10年たった今だから言えるのですが、韓国の港では、学生達が古代の赤いたすきの衣装に着替えて、ずっと8人で漕いできたかのように振る舞ってもらっていましたが、実のところは夜間、他の船に牽引してもらっていたのです。
(財団法人 大阪市文化財協会 調査部長 永島暉臣慎 古代船の再現「古代研究」第9号:1999年5・6月号)
モデルとなった埴輪はこれ。
で、実物大にして作っちゃったのがこれ。

1980年代後半は官民ともに無駄にお金を使っていた時代だとはいえ、「現在の船の構造設計者によると、とても構造的に船にならない」(同前)と言われていたものを、どうして造ったのかなあ。素人目に見てもおかしいでしょ、こんな船。
船のような形だからといって、船とは限らない。船形のモニュメントかも知れないし。
魏志倭人伝につぎのような記述がある、
埋葬の時には屍を船の上に置き陸地でこれを引いたり、小さな輿に乗せたりする。
件の埴輪は葬列の模様。陸上を修羅(しゅら)で引いた姿を摸したものだろう。
参考:船型埴輪は舟葬用の船を模したもの
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応神天皇陵は存在しない
応神天皇陵として宮内庁が治定しているのは惠我藻伏崗陵(誉田御廟山古墳・羽曳野市)である。例によって考古学者からは批判かまびすしい。本当の応神天皇陵はどこにあるのか?私は答える。応神天皇陵は存在しない。『古事記』に応神天皇の「御陵は川内の恵賀の裳伏岡にあり」とある。しかし『日本書紀』に陵名の記載はない。日本書紀は他の歴代天皇の陵をすべて記載しているのに、ただひとつ応神天皇についてのみ、それを記載していない。(ただし、雄略紀のエピソードに「蓬蔂丘の誉田陵」の言及がある。)
古事記と日本書紀は同時代の朝廷内にあった歴史編纂プロジェクトだから、その伝承を古事記は知っていて、日本書紀は知らなかったということはない。日本書紀は応神天皇陵の伝承を知ってはいたが、あえてそれを記載しなかったのである。
なぜかというと、応神は神だから。例外はあるが、たいていの神に墓は無い。
応神天皇陵として宮内庁が治定している誉田御廟山古墳は、その地で「御廟山」と呼ばれていた。「陵」は天皇あるいは皇后の遺体を埋葬する施設であるが、「廟」は祖先神の霊を祀る施設である。応神は神だから遺体は無く、「陵」を作れないから、代わりに霊を祀る「廟」が作られたのである。
霊はいくらでも分霊できるので、廟もいくつでも作ることができる。誉田御廟山古墳(羽曳野市)と別に御廟山古墳(堺市)があって、こちらにも応神天皇が祀られている。

江戸時代の堺近郊の地図に「仁徳帝陵」などが書かれているが、御廟山古墳は「応神帝廟」として現れる。
関連記事:2つの御廟山古墳
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三種の神器と中世
古事記に登場するのは三種の「神宝」で、「三種の神器」という表記の初見は『平家物語』の壇ノ浦合戦がらみである。そこでは「神鏡剣璽」となっている。二位殿は「神璽をわきにはさみ、宝剣を腰に差し」安徳天皇といっしょに海に飛び込んだ。「内侍所」と呼ばれる鏡は船上に取り残された。
次にレガリア(王権を証明するアイテム)が脚光を浴びるのが南北朝時代だが、このときも「神璽・寳鏡・寳劔」である。
この「神璽」を勾玉と解釈したのは南朝方の北畠親房で、『神皇正統記』にそれを書いている。古事記の「三種の神宝」に当てはめて解釈したのだろう。これがその後に神社本庁の見解となり、いまも俗説としてまかり通っている。

(画像はイメージ)
明治期になると剣璽等承継の儀が整備される。ここで重要視されるのは宝剣と神璽である。鏡は「等」未満の扱いとなり、勾玉はまったく忘れ去られている。
古事記にのみ登場する三種の神器(神宝)が現在の天皇家まで引き継がれていると考えるのは、まったくのファンタジーにすぎない。
参考文献:新谷尚紀『伊勢神宮と三種の神器』(2013)講談社
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