イラク戦争は何だったのか
2003年3月20日、米英は地上軍を侵攻、イラク戦争を開始した。これにいち早く支持を表明したのが当時の小泉内閣だった。「我が国は、我が国自身の国益を踏まえ、かつ国際社会の責任ある一員として、我が国の同盟国である米国をはじめとする国々によるこの度のイラクに対する武力行使を支持します」(内閣総理大臣談話 平成15年3月20日)。
冷戦と呼ばれた時代は、ソ連と米国をそれぞれを中心とする東西ブロックの対立構造だった。ソ連の崩壊後、当時の米国大統領ブッシュは対テロ戦争を宣言。テロリストの側に付くか、米国側に付くかを各国に迫ったのだった。米国に尻尾を振り付いていく道を選んだのは日本ばかりではない。
イラクという国は、日本はもちろん米国も一度も攻撃したことがない。将来にもその可能性はほとんど無かった。武力侵攻の理由とされた大量破壊兵器は無かったし、国際テロ組織アルカイダとの関係も、CIAによる捏造だった。それを無条件に信じたのが英国であり日本だった。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」(日本国憲法前文)を投げ捨て、米国の軍事戦略にどこまでも従う道を選択した。道理無きイラク戦争への支持は、それへ大きく踏み出した一歩だった。
マスターの部屋 関連記事: 対イラク戦争の大義
関連リンク:
1.きょうの潮流(2013年3月20日 赤旗)
2.イラク戦争10年 福田元首相「我々に情報はなかった」(朝日新聞デジタル 3月20日)
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自衛隊の空中ショー
ヘリコプターから投下される水煙。なかなか入らない。国民は手に汗を握りテレビの画面に見入った。このショーに違和を感じた人も居ただろう。じっさい「映像効果が期待される」として強行されたものだったことは後に明らかになる(2011/06/25 東京新聞/日々雑感、日本の将来)。「きょうが限界だと判断し決心した」。北沢俊美防衛相は17日、陸上自衛隊のヘリコプターが水の投下を終えた後に記者会見。硬い表情を崩さず、重い決断を下した心情を吐露した。(2011年3月17日 東京新聞)
効果は薄く危険な作戦。放射能だけではない。高熱のところへ水を投下すれば水蒸気爆発によりヘリ墜落の恐れがある。「きょうが限界」という言葉にも緊迫したものが伺える。
その「きょうが限界」の意味も後に明らかになる。翌日には東京消防庁からハイパーレスキューが到着し、自衛隊の出番が無くなるからだ。ハイパーレスキューは2日間の作業でプールをいっぱいにした。
震災2周年の東日本大震災追悼式での天皇陛下のおことば(2013年3月11日 朝日)で救援活動を労う言葉がある。
「救援活動に当たった自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする…」
震災直後の『おことば』にあったのと同じ文言。ちょっと気になったのはその順番。いずれも今回よく働いてくれたので功績順という訳にはいかない。あえて順番を付けるとすれば私なら「消防、海上保安、警察、自衛隊」となる。なぜかと言うと、国民の生命と財産を守るこれら組織のうち、自然災害を主務とするのは消防だから(参考記事:『餅は餅屋』)。
『おことば』の中での順番はささいなことだ。しかし、原発事故対応もこの順番になっていたことは大きな問題だ。火事を消すのと違って相手が原発では消防の手には負えないだろうと思った人も居るだろう。しかし自衛隊こそ専門じゃなかった。
東京消防庁の消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー)は1995年の阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件をきっかけに組織された。NBC(核、細菌、化学)にも対応する特殊部隊だ(東京消防庁 第三消防本部消防救助機動部隊)。部隊は事故発生の翌日12日から、当然自分たちに声がかかるものと手ぐすね引いて作戦を立てていた。16日には、東京の荒川河川敷で訓練を実施している。なぜ出動が18日まで引き伸ばされたのだろうか。
国を防るということがどういうことなのか。「国民の生命と財産を守る」との美辞で逆のことをやろうとする者も居る。教訓のひとつとしたい。
参考リンク: ハイパーレスキュー隊記者会見東京消防庁・ハイパーレスキュー隊 記者会見 2011年3月19日深夜(哲野イサクの地方見聞録)
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在外邦人の保護
逆にたとえば在日外国公館が暴徒に囲まれ、外交官が日本を脱出しようとする。空港へ移動するまでの安全を、当該国の軍隊に日本へ進駐して貰い護衛させるのか?武器での保護対象拡大 与党の邦人保護PT 自衛隊法改正へ報告書
アルジェリア人質事件を受け、海外での邦人保護のあり方を検討してきた自民・公明両党のプロジェクトチーム(PT)は8日、自衛隊法を改正し、現行の航空機・船舶に加えて車両での邦人輸送を認めることなどを柱とする報告書をまとめた。武器使用基準の緩和を見送る一方、輸送中の保護対象者を拡大し、邦人らだけでなく随行の政府関係者や通訳、運転手らも武器で守れるようにする。(2013.3.8 産経)
軍隊の活動場所は海外ということからすれば、その舞台を拡げることになるだろう。しかし、どのような場合にそれができるのか。今回のケースで英国もフランスも軍を出していない。出動すればアルジェリアの主権侵害になるからだ。
日清戦争の発端は、朝鮮半島で起きた東学党の乱にあたり「居留邦人の保護」を口実にした日本軍の出兵だった。「在外自国民の保護」は戦争開始の口実としてはもっとも常套な手段。それが世界の常識。
参考リンク:
甲午農民戦争(ウィキペディア)
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チャベスが残した言葉
「憲法を読みなさい。」これがチャベスが人々に何度も繰り返して説く言葉であった。人々に憲法を読むことを薦め、そこに記された国民の権利が実現できるよう訴えていた。
2002年4月のベネズエラの反チャベス軍事クーデターは「チャベス大統領の退陣を求めるデモが警官隊との銃撃戦に発展」と日本では報じられた。だがそれは仕組まれたアベコベの映像で作られたものだった。事実は軍内の反チャベス派の陰謀だった。その背後にアメリカがいたことはもちろんだ。
大統領官邸に立て篭もったチャベスと閣僚たちは警護隊とともにクーデター軍に反撃することもできたかもしれない。でも、それをしなかった。チャベスは単身で軍に拘束されることを選んだ。武力に武力で対抗するのではなく大衆の力で事態を乗りきったのだ。2日でクーデター政府は崩壊。チャベス大統領は暗殺を免れ無事だった。
ふたたび大衆の前に帰還したチャベス大統領の言葉を私たちは噛み締めたい。
「反対派に言いたい。反論は大いに結構。私はあなた方を説得できるよう努力する。しかし国民の規範である憲法に背く行為は許されない。憲法はすなわち共同体の基本だから。」
「最も大事なのは一部の人のうそに惑わされないことだ。」
(「チャベス政権 クーデターの裏側」より)
関連リンク:
1. 「チャベス政権 クーデターの裏側」(木村奈保子)
2. ドキュメンタリー「7年目のチャベス革命」より(にほん民族解放戦線^o^)
3. 欧米メディアはなぜチャベスを嫌うのか?(西谷修一)
4. チャベス大統領死去(赤旗 2013年3月7日)
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生活保護は誰のため
政府は生活保護基準額の見直しで3年間で約670億円削減する方針(参考1)。日本の生活保護費は3兆円を超えている。だが諸外国と比べてみると…。英国などに比べ米国はその1/4、日本はそのさらに半分でしかない。(「あなたの暮らしも危ない?誰が得する?生活保護基準引き下げ 」日弁連 2012年11月 作成のパンフより)生活保護基準額を引き下げると、生活保護対象者に限らず低所得者層の広く影響が及び、消費不況をさらに深刻化させる(参考2)。いっぽう景気対策として公共投資を今後10年間で200兆円を投じるという(参考3)。「財政赤字を増やしてでも景気対策」。「財政赤字を減らすため社会保障を削減」。矛盾してないか。
奇妙な質問だが、生活保護費は誰の懐に収まるのだろう。もちろん受給者に決まってる。だが、貧乏人はそれをすぐに使ってしまう。使わずには生きていけない。なのでその金は貧乏人の財布に落ち着いていることはない。「金は天下の回りもの」というわけだ。対して金持ちは余分なお金は貯め込むか投機などいらぬところに使う。実体経済に寄与しないばかりかバブルという弊害を与えることもある。
生活保護に使おうと公共投資に費やそうと、それで民間経済は潤う。問題は上から注ぐのと下から注入するのとどちらが効果的か。「大企業が儲かれば下請け企業、社員に、やがて小売業へと経済が循環する」という図式は高度成長期の幻想。『お金の回り方』でここ25年間の実績に見たように、その利益は大企業の懐に止まるだけ。
「生活保護を手厚くすると、みんな働かなくなってしまう」との議論がある。それは要らぬ心配。荒っぽい言い方を許してもらうと、いま働き手は余っている。完全失業者は約300万人。いっぽう、働ける世代を含む「その他の所帯」は30万に満たない。これには働いてはいるが所得が少ないために生活保護給付を受けている者も含まれる(参考4)。逆に働いても生活保護基準以下という状況こそ克服されるべきではないか。
参考リンク:
1.社会保障「自助・自立を第一に」具体策は参院選後 (産経 2013.2.28)
2.「生活保護費引き下げの影響」 玉突き式に他制度と連動も (産経 2013.2.11)
3.安倍新政権20兆円緊急経済対策 赤字だけが残る懸念ぬぐえず(週刊ダイヤモンド 2013年1月15日)
4. 働き盛りの生活保護は本当に許されないのか (みわよしこ、週刊ダイアモンド 2012年7月27日)
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