プロメテウスの火
ウラン(天王)、プルトニウム(冥王)と同じくギリシャ神話から採られた名前で、プロメシウムという元素がある。自然界には無く、原子炉でのみ生成される。神話の中でプロメテウスは天界の火を盗み、ゼウスの怒りを買った。岩壁に鎖でつながれ、生きながらにしてハゲタカに肝臓を啄まれ続ける(不死身ゆえ)という刑を受ける。

(『縛られたプロメテウス』ルーベンス)
火を得た人間は、それで暖を取るばかりでなく、鉄を鋳て文明を享受した。いっぽう兵器を作り、争うようになった。ゼウスからすれば、それ見たことかというところ。「プロメテウスの火」は、発展した科学文明の功罪を比喩する言葉となった。兵器の発達と戦争は、その最たるものだ。
今また原子力が「プロメテウスの火」と呼ばれる。もっとも、原子力は核兵器の開発に始まるので、「罪」のほうから出発している。「功」のほうはどうだろう。便利であるはずの自動車も殺人機械になり得る。失敗はあるが、正しく使えば原子力も幸福をもたらすはず、という考えもあるかもしれない。しかし原子力は、これまでの科学文明とはまったく違う。
まず、そのエネルギーがあまりに巨大だということ。化学エネルギーに対して、核分裂で得られるエネルギーは百万倍を超える。それが「夢のエネルギー」ともてはやされる理由にもなるのだが、それをちゃんと制御できたら素晴らしいので、じっさいは手に負えていないということを私たちは知っている。
また、その生成物も手に負えない。炭を燃すと二酸化炭素ができる。しかし、それは太陽と水、緑によって酸素と食料とに還元することができる。核分裂で生まれる放射能は、それを元に戻す術がないし、今後もできないだろう。
人類はけっきょくのところ、手を付けてはいけないものに手を付けてしまったのだ。
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戦時下の産物「東京都」
明治の時代、西に大阪市と大阪府、東に東京市と東京府があった。大阪市と大阪府は現在も存在するが、東京市と東京府は統合されて「東京都」となり、現在に至る。東京市の廃止と「東京都」への統合は何時のことかというと、1943年(昭和18年)、戦争中のことになる。
1941年12月8日、日本軍による真珠湾奇襲から日米開戦。翌1942年4月18日、東京は空襲を受けている。この「ドーリットル空襲」は小規模だったために歴史から見落とされがちだが、当時の日本には大きな衝撃だった。政府は首都の防空都市化の必要を強く感じることとなる。
日米開戦2年後の東京市の廃止には必然性があった。首都の防空都市化には道路の拡幅と、それにともなう立ち退き、木造民家の取り壊しなどを伴う。そこで東京市という自治体がごちゃごちゃ言うとまずい。東京都長官は内務省から派遣された。

(戦時中東京で行われた防火演習・総務省のページより)
戦時体制下で誕生した「東京都」は戦後も引き継がれた。いくつかの変遷を経たものの、東京都と特別区は現在もその特殊性を引きずっている。特別区長会は2006年から都区のあり方検討委員会を設け、特別区制度の見直しを始めている。
橋下維新、また「みんなの党」も「地方分権」を言う。しかし彼らは地方「自治」は掲げない。いわく「明治維新以来変わっていない」日本の「統治機構」を変えるのだとか。
この「統治」という言葉に彼らの本心が見える。「統治」という言葉は現憲法には出てこない。大日本帝国憲法で使われた言葉だ。
大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス (第1条)
また橋下氏は「日本の統治機構を変える。それをまず大阪で示したい」という。要はこの人、国政でだめなら大阪で、大阪市、堺市を潰して、目指すものは「大阪ハ唯一人ノ橋下総統之ヲ統治ス」ということなのか。
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ワイマール憲法が死んだ日
国会議事堂はすでに焼失していたので、クロル・オペラハウスが議場にあてられたが、 当日この建物の内外には、黒シャツの親衛隊員や褐色のシャツの突撃隊員がたくさんおしかけていた。 そうしたなかでみずからも褐色のシャツを着たヒトラーが、大きな鉤十字旗を背に演説をおこなった。(野田宣雄 「ヒトラーの時代(上)」より)
会場内外が騒然とする中、1933年3月23日、立法を含め政府に権力を集中する、いわゆる全権委任法は可決された。当時世界でもっとも進歩的・民主的と言われたワイマール憲法は、この日をもって事実上停止する。
この2ヶ月前、ヒトラーが首班指名を受けた1933年1月、ナチスは第一党ではあったが、過半数は占めていなかった。成立した政府はナチス、人民党、中央党などの保守連合政権。ナチスからはヒトラーを含め3名のみが入閣した。
ヒトラーが総理に就任して最初に行ったことはというと、新内閣の「信任投票」と称し国会を解散することだった。これがワイマール共和制最後の総選挙となった。
投票日の直前、国会議事堂炎上事件が起こる。ナチスの陰謀と言われるが定かではない。ともかくヒトラーはこれを利用し、3,000人以上の共産党員や社会民主党員を拘束するなど大弾圧を行う。
選挙結果はヒトラーにとって意外にも、ナチス単独で過半数を制することはできず、連立与党でようやく過半数。憲法に関わる全権委任法の可決に必要な2/3を得ることはできなかった。
しかしヒトラーは諦めない。81あった共産党の議席を剥奪。社会民主党の議員のうち26人を拘束。中間政党には騙しと脅しを掛ける。最後まで反対した社会民主党94を除き、残る全政党444の賛成で全権委任法可決。
この法律は4年間の時限立法だった。しかしこの後、ヒトラー独裁には半年も掛からなかった。同年6月21日 社会民主党の活動禁止。同年7月3日 中央党が自主解散。他の政党も消え、ドイツの政党はナチスのみとなった。
参考ページ
- クリック20世紀 - ドイツ議会、全権委任法を可決
ヒトラー独裁の完成~全権委任法成立の謎~(第二次世界大戦資料館)
「民主的方法」によるナチス独裁への道のり
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おまけ
「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」
とぼけたことを言う人がいるものだ。ワイマール憲法の息の根が止められたのは決して「静かな」環境の下ではない。騙しと脅迫によって行われたのだ。
自民党改憲案にはすでに「ナチス憲法」が取り入れられている。そのことを指摘した解説記事と、面白いパロディ動画とを紹介しておく。
麻生「ナチス手口学んだら」発言のツッコミどころ(志葉玲)
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日本共産党が党名を変えない理由
これについては日本共産党のQ&Aやカクサン部長が答えている。その上で、なぜこの問いが発せられるか、私なりの考察を加えてみたい。この疑問の多くは善意から発している。「共産党」や「共産主義」というと、旧ソ連や中国、北朝鮮のマイナス・イメージがある。あるいは現体制をそっくりひっくり返す極端な主張を想像する。ところが、日本共産党の主張を聞いてみると、旧ソ連や中国、北朝鮮とは無縁だし、主張は穏便でまっとうに見える。それならば……と、いうことから。
先日、東京大学でケインズ経済学者の大瀧雅之教授と本共産党副委員長の小池晃との討論会があった(しんぶん赤旗 日曜版 2013.1.27)。すごい対決になると思いきや、日本の経済政策について両者はほとんど一致したという。
それもそのはずで、日本共産党は、日本を当面は資本主義を前提に、大企業・財界の横暴とアメリカ言いなりの政治を正そうとしているだけだから。では共産主義化は諦めたのかというと、そうではない。資本主義下での改革の後、共産主義への発展の展望を持っている。
では、なぜ一気に共産主義に向かうのではなく、当面資本主義下での改革なのか。理由は2つあると私は思う。(日本共産党公式の立場は綱領参照。)

第1は、いまの日本は、自分の国のことを自分たちで決められないということ。
たとえば原発ゼロへ舵を切ろうとすると、財界やアメリカが横槍を入れてくる(既出記事)。
消費税にしても何にしても、国民の願いとは真反対のことを政府は進めることができる。民意を表さない選挙制度がそれを可能にしている。マスコミによる誘導も使って。
財界やアメリカの支配から脱し、民主主義を開花させることが、いまの日本にはまず必要なのだ。
第2は、民主主義の無いところに「共産主義」を打ち立てることの危険。
「共産党は批判勢力として少数ならば良いが、政権を取ったら大変」と、心配するむきもある。その不安には正当な面もある。旧ソ連や中国、また朝鮮半島の問題は、民主主義の経験が少なかったということもある。独裁者が権力を握り、国民は悲惨を味わった。
戦前のドイツや日本もそうだったが、いまもその危険はある。共産党とは限らない、いずれかの勢力がいったん権力を握ったら、自由な言論を封殺するかもしれない。そうなったとき良識ある国民はそれに抵抗できるだろうか?
「共産主義」にモデルは無い。むしろ将来の国民が手探りでその姿を構築していくものだろう。その過程では危ういことも起こる。誤りがあればそれを修正する力、民主主義を徹底し発展させておかないと、ほんとうに危険だということを、私は警告したい。
参考:
* しんぶん赤旗 2013年6・7月号外(PDF)
納得させられるポスター(Facebookより)
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占領憲法
安部首相率いる自民党は現行憲法9条を改訂して防衛軍を作ろうとしている(自由民主党)。しかし日米同盟の下で密約によりその「防衛軍」は米軍指揮下に入ることになっている(赤旗)。いっそのこと「日本国は米国に守ってもらう」と憲法に書き込めばどうか。そうすれば米軍基地もオスプレイも合理化できる。
(写真は 2012年11月2日付 しんぶん赤旗 より)
戦後日本を占領統治した米国が日本の軍事力を奪う代わり「日本は米国が守る」という憲法を作っても良かったのかもしれない。しかしそれはできなかった。極東委員会との間の事情は前記事を参照いただこう。さきの戦争は日独伊枢軸国に対する連合国の戦争であり、その目的は領土の奪い合いではなく対ファッショという名分があったからだ。
なのでどうしたかというと、それは憲法には書かず、日米安保条約(1952年4月28日発効)で日本の軍事占領を事実上恒久化したのだった。現行憲法を「占領憲法」と呼ぶのならば、その条項は第9条ではなく、第98条第2項にある。
〔憲法の最高性と条約及び国際法規の遵守〕
第98条この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。(日本国憲法。強調は引用者)
憲法と条約とどっちが優位なのかあいまいなところだが、日米安保条約は憲法を超越した存在として、いまも日本を事実上米国の占領下に置いているのが実態ではないだろうか。
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