戦時下の産物「東京都」
明治の時代、西に大阪市と大阪府、東に東京市と東京府があった。大阪市と大阪府は現在も存在するが、東京市と東京府は統合されて「東京都」となり、現在に至る。東京市の廃止と「東京都」への統合は何時のことかというと、1943年(昭和18年)、戦争中のことになる。
1941年12月8日、日本軍による真珠湾奇襲から日米開戦。翌1942年4月18日、東京は空襲を受けている。この「ドーリットル空襲」は小規模だったために歴史から見落とされがちだが、当時の日本には大きな衝撃だった。政府は首都の防空都市化の必要を強く感じることとなる。
日米開戦2年後の東京市の廃止には必然性があった。首都の防空都市化には道路の拡幅と、それにともなう立ち退き、木造民家の取り壊しなどを伴う。そこで東京市という自治体がごちゃごちゃ言うとまずい。東京都長官は内務省から派遣された。
(戦時中東京で行われた防火演習・総務省のページより)
戦時体制下で誕生した「東京都」は戦後も引き継がれた。いくつかの変遷を経たものの、東京都と特別区は現在もその特殊性を引きずっている。特別区長会は2006年から都区のあり方検討委員会を設け、特別区制度の見直しを始めている。
橋下維新、また「みんなの党」も「地方分権」を言う。しかし彼らは地方「自治」は掲げない。いわく「明治維新以来変わっていない」日本の「統治機構」を変えるのだとか。
この「統治」という言葉に彼らの本心が見える。「統治」という言葉は現憲法には出てこない。大日本帝国憲法で使われた言葉だ。
大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス (第1条)
また橋下氏は「日本の統治機構を変える。それをまず大阪で示したい」という。要はこの人、国政でだめなら大阪で、大阪市、堺市を潰して、目指すものは「大阪ハ唯一人ノ橋下総統之ヲ統治ス」ということなのか。
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