物が売れなきゃ始まらない
さきに私はこのブログで、日本国民の生活水準を全般的に引き下げることで「日本での人件費も安上がりになって、国内での企業活動も楽になる。」が、財界や官僚の描くシナリオと書いた。しかしこれは成功しない。賃金が下がり人件費の負担が小さくなったとしても、それで物やサービスを作っても売れない。国民の財布が乏しいからだ。物が売れなきゃ儲ける術がない。「賃金を下げれば企業活動が活発になり雇用が増える」というのは幻想に終わる。
隘路があるとすれば、国内需要に期待せず、輸出にそれを求めるというもの。しかし、どこに売るのか。中国?米国?欧州?いずれも拡大は期待できない。ならば新興国?
日本人は貧しくとも勤勉で、製品を輸出することで大きく成長してきた。しかしそれは昔の話。いまや日本のGDPは世界第3位の経済大国。その国が内需を縮小し他国に需要を求めるなど、マクロに見て成立するわけがない。想像してみよう。米国をはじめすべての国がそういう政策を採ったらどうなる?
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人口ピラミッド
左の三角形と右の三角形。色分けを別にすれば上下をひっくり返しただけで同じ。賢明な方々はこの図で私が何を言いたいかすでにお察しだろう。これを人口ピラミッドと見れば、左は高度成長期の日本。「核家族」の典型は両親に子供3人。右までは行かぬが昨今の3世代家族は、祖父母、若夫婦、一人っ子。
全体の三角を支える稼ぎ手が図中の青い帯だとすると、その比率は左右で変わらない。「税と社会保障」をマクロに眺めるとそういうことになる。
政府が言ってきた「胴上げ型社会から騎馬戦、肩車型へ」というのは、現役世代(青色部分)の払う掛金で現在の受給者(黄色部分)に支払うという年金制度が将来破綻するという限りで正しい。
人口ピラミッドの変化を前提に、それに対応する年金制度の改革を言うならば、年金会計への国庫からの繰入れは当然。それがマクロに見て財政破綻の原因とはならないことは上図が語っているのではないか。
もちろん人口が先細る少子高齢化は是認することはできない。なぜこうなったかや、その影響については続きで。
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中国で人件費高騰の理由
日本の人件費は高く、人件費の安い中国に工場を建てることが流行った時期がある。その中国も人件費が上がってきて、いまはベトナム、これからはミャンマーなどが有望視される。なぜ中国での人件費は上昇したのか。需要と供給で説明することを試みるより、中国へ世界からの企業進出のおかげで中国人の生活水準が上がったと説明するほうが早いだろう。
さて日本では社会保障費の増大で財政は逼迫。増税するか社会保障を縮小するか……という議論もなされている。「税と社会保障の一体改革」がそれ。
しかしさきに見たように消費税増税しても税収が増える見込みがない。消費税増税に先行して大企業減税を実施するなど、財務省には財政赤字を改善しようとする気が見えない。
じつは政府の財政赤字は意識して作られたものではないかという気が私はしている。そのことはさておき、もし財政赤字を改善するのが目的ではないとしたら、生活保護基準引き下げなど社会保障削減の本当の狙いは何なのか?私の推測の楽しみは続く。
想像するに日本の生活水準を全般的に引き下げることそのものが目的なのではないだろうか。
日本国憲法第25条に「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とある。この「最低生活」を、贅沢言わず辛うじて生命を繋ぐギリギリまで下げ、それと近い低所得者層をたくさん作る。そうすれば日本での人件費も安上がりになって、国内での企業活動も楽になる。……そのような絵を描いているのではないかと。このデフレ不況、高失業率の下で公務員の人員削減や賃金カットも、そのシナリオならば理由が付く。
しかし、このシナリオは成功しない。続きはこちら。
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橋下さんの深謀遠慮
下大阪市長の意向を受けて大阪市教育委員会は桜宮高校体育科の入試中止を決めたが、在校生、保護者はこれに反発している。この一連について東芝弘明さんのツイートに私は同感する。桜宮高校への橋下さんの圧力の醜さ、大阪市教育委員会のふがいなさ、桜宮高校生のすばらしさ。今日は、若者に希望を感じ、教育委員会に失望し、維新の会の傲慢さを味わった日になった。高校生、がんばれ、大人もがんばろう。
東芝弘明さん (@sibaapple) 1月 21, 2013
これとは異なる考えの人もいるだろう。今回の橋下の行動は賞賛されるべきで、反発する在校生は自分勝手あるいは傲慢と考える人も。
橋下徹はそのポピュリズム的政治手法を批判されており、今回の入試中止や教員総入れ替えの提案もパフォーマンスだとも指摘されている。しかしいつも思うのだが、われわれ大衆はそのようなことを望んだのだろうか?
体罰(「暴力事件」?)で自殺者を出した桜宮高校の事件を聞いて、「そんな学校は潰してしまえ」と、どれほどの人が思ったのか。犠牲者の父母が「息子の命を奪った学校は消えてしまっていい」と語ったとも聞かない。
いまネットでは橋下を賞賛し、それに反発する生徒をバッシングする声が見られる。この人たちに今回の入試中止についての意見を問うならば「そのくらいのショック療法は必要」と答えるのだろう。しかしその人たちも当初は「橋下さん、ちょっと過激」と思ったのではないだろうか。
賛否ありそうな問題に橋下は「こっち」と決め付け、それをどんな手を使ってでも強引に進めようとする。そういうところを「危険」と感じるか「頼もしい」と感じるかで分かれるのだろう。
「橋下さんの言うことは乱暴かもしれないが、きっと橋下さんには深謀遠慮があるのだろう」と判断を預けてしまっていいのか。またどんな手を使ってもいいのか。その2つをよく考えねばならないと思う。
ブログ内の関連記事:「おまえが言うな」
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ツイッターを始めてみた
何かまだよく分かっていないけれど、Twitterのアカウントを作った。@ShinobarTweetさんをフォロー
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