渚にて

福島の原発は津波対策が抜かっていた。しかし地震とともに津波もやってくる日本。そもそも、津波被害を受けやすいはずの海辺になぜ原発があるのか。

福島に限らず日本の原発はみんな海岸べりに立地している。これはしかたがない。原発を冷やすのに大量の水が要る。大河の無い日本では必然的に海岸ということになる。原発だけでなく火力発電所も海岸にある。およそ熱機関は、熱だけではダメで、熱いものと冷たいものが出会って、はじめてエネルギが生まれる。

ところが、山がちの日本では、そこは人の住むところでもある。これも道理があって、山と海が出会うところは生命の生まれるところでもあるからだ。豊かな生命が営んでいる海岸沿いに、生命を脅かす原発とが同居している皮肉。

『渚にて』という映画があった。核戦争により汚染された北半球から逃げてきた人類が、オーストラリアで終にはその最後の日を迎える。なんともやりきれない、重い映画だった。

原題「On the Beach」はT.S.エリオットによる詩の一節で、死を迎える人々が集う場所。渚から生まれた生命が、その尽きる日に渚に戻ってくるのは自然かもしれない。

やはり核戦争による人類絶滅を扱う映画で『博士の異常な愛情、または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』という長い題名のものがある。偶発で起こる核戦争。米ソの首脳は協力してこれを回避しようとするが、「抑止力」のために用意されていた自動報復攻撃システム、全生命絶滅装置が作動してしまう。



核兵器は敵味方の双方とも被害を免れない。兵器としては欠陥品で、「使えない」。使えないが「抑止力」になるとの珍論がある。

この映画は、その「抑止力」の危うさと愚かさをまざまざと見せてくれる。重い内容ながら、キューブリック監督によるブラック・コメディ仕立ては、楽しく見せてくれる。まだご覧でなければ、ぜひ一見をおすすめしたい。

Posted on 26 Feb 2014, 15:21 - カテゴリ: 原発
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