自衛隊の主任務
20年前の阪神淡路大震災で自衛隊の救援活動はスムースにいかなかった。自衛隊の災害派遣は県知事の要請がなければならない。しかし県知事自身も自宅で被災しており、県庁に行けない状況。要請には時間が掛かった。正式要請も無く防衛大臣からの命令も無い中、伊丹駐屯地は連隊長の判断で出動、阪急電車伊丹駅へと向かった。列車は脱線し、駅舎は1階部分が完全に崩壊していた。この光景を目の当たりにし、隊員たちは呆然と立ち尽くした。
(写真:崩れた阪急電鉄伊丹駅駅舎と脱線した阪急電車=1995年1月17日、兵庫県伊丹市/時事通信)
震災後のテレビ番組で、自衛隊による救援活動が十分でなかったことが話題となった。コメンテータたちの吊し上げに遭い、自衛隊の広報担当者も最後にキレて、こう叫んだ。
「崩壊した建物のガレキが積み上がっている、あの状況下で救出活動をしろと言われても、私たちにはそのための機材もありませんし、そのような訓練も受けておりません。」
そう。みんな都度かってな解釈をしようとするが、災害派遣は自衛隊の主務ではなく、あくまで例外。
自衛隊は人を殺すのが主任務で、人の命を救うことではない。
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ある宗教政党の自殺
ヒトラーが首相になって最初に行ったことは何だったか、知っていますか?1933年、首班指名を受けたヒトラーは、組閣の直後にいきなり国会を解散、総選挙に打って出る。いわく「新内閣の信任選挙である」と。
組閣されたばかりで、実績もなにも分からない中での「信任」選挙。選挙中はもちろんさまざま謀略が仕掛けられた。にもかかわらず、この選挙でヒトラー率いるナチス党は過半数に届かなかった。引き続きドイツ中央党の助けが必要だった。
それでも憲法に抵触する問題で必要な2/3には足りない。その事態も中央党の協力を得る画策で、いわゆる「全権委任法」を3月に可決する。
中央党はなぜにそこまでナチス党に協力したのだろう?
ドイツ中央党はカトリック信者に依拠する保守的党派だった。当時のスターリン指導下の共産党より、それに敵対するナチスのほうが、「まだまし」と、思ったかもしれない。ユダヤを迫害していたナチスだが、カトリックには手を付けないという密約があったのだろう。それは、その後いわゆる「政教協定」として明らかになる。
「全権委任法」により、国会の議決を経ずに政府が法律を施行できるので議会は用なしになる。全権委任法の議決は議会の自殺行為だった。それは同時に政党の自殺行為でもある。
同年7月、ドイツ中央党は解散。すでに共産党や社会民主党は禁止されていて、ここにナチス1党独裁は完成する。
翌年の1934年、 ヒンデンブルク大統領が死去すると、ヒトラーは首相と大統領を兼ねる総統となる。同年8月19日の国民投票は、90%の賛成でヒトラーの地位を確認する。
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参考リンク:
「民主的方法」によるナチス独裁への道のり
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生かさず殺さず
麻生財務大臣は「社会保障費の増大は子供を産まないのが問題」と発言したそうだ(2014年12月7日・札幌市内で)。失言のデパート麻生さんだが、まったく見当外れの論とはいえない。日本語を少し間違えているだけで、「子供を産めないのが問題」とすれば当たっている。人口の減少はそのままGDPの減少に繋がるから、財務大臣として、これは問題だ。
「アベノミクス」とやらで一部大企業は空前の利益を上げているが、労働者の実質賃金は減りつづけており、正規雇用が減って、明日の身分の保証がない非正規雇用に置き換えられている。
これでは結婚もできないし、結婚しても少ない収入を補うために共稼ぎしなければならない。ところが子供を預けるところがない。これでは人口が減るのは当然だ。
およそ利益の源泉は勤労者の働きだから、その数が減ることで日本経済が先細りすることは目に見えている。
「女性が輝く社会」とかで女性を働かせることで当面を凌ぐことはできても、保育の環境を十分にしなければ子供を産めないだろう。日本の教育費が世界1嵩むことも要因になっている。
徳川家康は百姓を「生かさぬよう殺さぬよう」と言ったとか。年貢を取りすぎて農民が飢えて死んでは元も子もないし、来年の種もみも残さねばならない。そのことを戒めた言葉とも思われる。江戸時代の為政者のほうが、現在の日本の支配者層よりも賢かったのではないだろうか。
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3点セット
日本国中の原発が停止して2度目の正月を(もうすぐ)迎える。2012年6月、大飯原発再稼働について「実際に停電になれば自家発電機のない病院などで人命リスクが生じるのが大阪の現状だ。再稼働で関西は助かった。おおい町の人たちに感謝しなければならない」と、人命の問題としたのは橋下氏であり、当時の野田総理だった。
その後2013年9月、じっさいにすべての原発が止まった。以来、夏の電力ピーク時にも、冬にも停電は起こっていない。福島原発事故以前、原発は日本の電気の約30%をまかなっていた。それがゼロとなったいま、なぜ電気は足りているのか?
もちろん省電力の努力は大きい。しかし、もともと発電設備は過剰だった。過去から現在まで原子力を除いた発電能力を最大電力が超えたことはない。
(藤田祐幸博士が作成したグラフ)
原発の建設は1970年台後半からだが、同じ時期に水力も火力も増えている。なぜだろう?
電力需要ピークの昼間に動かし、減少する夜間には止めるという小回りは原発にはできない。 そこで余った深夜電力を貯めておく揚水発電が必要となる。
また、原発はちょっとしたトラブルで停止して、その復旧に長期を要することがある。それでは安定供給責任の問題になるので、バックアップとして火力発電所も必要となる。
すなわち原発を1基作ると、水力と火力も同時に建設しなくてはならない。かくして原発を作れば作るほど、発電能力は過剰になる。
原発再稼働について、せっかくある設備なのだから動かしたいという経済的理由が持ち出されるかもしれない。しかし経済的に言って最大のムダは原発を作ったことにあり、いま廃炉ではなく維持し、再稼働の準備をすることがムダではないだろうか。
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落ちたエレベーター
東京メトロ平和台駅でエレベータを吊るワイヤーロープが切れて落下する事故があった(2011年7月28日) 。 幸いに非常ブレーキで止まったが、サスペンス映画にありそうな、恐ろしい話である。こういう事故はあってはならないので、普通どういう設計をするかというと、 ロープに掛かる最大荷重を計算したうえで、その3倍程度の強度のロープを、さらに2本以上使う。 (報告によれば当該エレベータのロープは3本、合計の安全率は8.2倍だった)
なぜそういうことをするかというと、計算上の強度と実際のロープでは材質や出来栄えで違いがあるかもしれない。 また使用中にサビもすれば劣化もする。もちろん定期点検などで保守するとしても、抜けがあるかもしれない。
もし1本が切れたらさすがにそれは分かるので、そのときに交換すればよい。 2本切れたとしても、最後の1本で充分に支えきれるはず。
それでも事故は起こる。このとき3本すべてが同時に切れた。乗客は1人だった。腰を打ち付けただけの軽傷で済んだらしい。
(これとは別に、エレベータが底まで落ちて重傷を負った例もある。図をクリックするとリンク先に飛びます。)
「安全余裕」という原発業界が発明した用語があるが、一般の機械設計や建築業界では設計上の強度を最大負荷の何倍にとるかを「安全率」と呼ぶ。
エレベーターの例をここで出したが、橋梁など重要な構造物で安全率は普通4〜10倍に採られる。でも、まともな設計者は、それで「余裕」があるとは決して思わない。
「世界一厳しい安全基準」というものが本当かどうかは別に置いても、そのような基準にしたがったからといって、事故の可能性がなくなるわけではない。
エレベーターの事故ならば、その被害は箱の中に限られる。しかし原子力発電所でひとたび重大事故が発生すると、どんなことになるか。私たちは福島の例で、それを知っているはずだ。被害の範囲はあまりに広く、また時間とともに収束するどころか、放射能汚染はむしろ拡大している。
関連記事、参考リンク:
大飯原発の耐震性は余裕なのか
大飯原発運転差止請求事件判決要旨(NPJへのリンク)
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