大鳥街道

堺市を通る主な街道は旧堺市街を中心に放射状に伸びている。その中で「ときはま線」は旧市街を通らずに、いわば近郊を環状というかJの字に走っている。この道は府道28号線(大阪高石線)のバイパス道として新しくできたもの。旧道は百舌鳥八幡宮、極楽寺、家原寺、大鳥大社、浜寺公園を結ぶ。
この一部区間が「浜寺街道」あるいは「大鳥街道」と呼ばれた記録があるが、私はこの路線全体を「大鳥街道」と呼びたい。
丸番号付きの細線が府道28号線(大阪高石線)の旧道。弧状の太線がバイパス道(ときはま線)。

Posted on 30 Sep 2023, 22:04 - カテゴリ: 郷土史
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身代わり地蔵

4月3日、もず後援会の主催で「さくらウォーク」を開催しました。この日のテーマは桜を愛でながら、上神谷(にわだに)街道を歩くことでした。
上神谷街道は堺旧市内から南区の桜井神社を経て河内長野に至る街道です。大仙公園を造成するにあたり、この街道の存在が指摘され保存されることになりました。
この街道は百舌鳥村の西の境界となっており、百舌鳥の人々は西大道と呼んでいました。街道沿いに身代わり地蔵があります。災いを代わりに背負ってくれるそうです。

ここから百舌鳥村の中心部に向かう街道がありました。大仙公園内のその道は消えていますが、地蔵の近くにその痕跡を確認できます。
昔から最も恐れられていたのは疫病であり、それは外からやってくるものでした。村への入り口で疫病や災いを 防ぐ存在として、この地蔵が作られたのでしょう。


Posted on 3 Apr 2021, 20:25 - カテゴリ: 郷土史
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熊野(ゆや)小学校

堺市堺区に熊野(くまの)町という所がある。地域の小学校は熊野(ゆや)小学校と、漢字は同じだが「ゆや」と読ませている。熊野という漢字には「くまの」と「ゆや」という2とおりの読み方があるらしい。

江戸時代の地図によるとこの町は「湯屋町」と表記されている。明治になって同じ「ゆや」と読める「熊野」という漢字に変ええられたのだという。湯屋町という名は、この辺りに風呂屋が集中していたからだと、堺市のHPで紹介されている。



しかしこの話、おかしくないか? 風呂からの帰りに湯冷めしてはたまらないので、風呂屋は各町内に分散してあったはず。それが宿屋町や旅籠町に隣接していたのなら分かるが、そうでもない。

私は「湯屋」というのは、鋳物工場だったのではと思っている。溶かした金属のことを「湯」と呼んだのではないか。

熊野(ゆや)小学校の運動場が発掘調査され、中世の壕の跡が確認されている。そこから鋳型が見つかっている(毎日新聞)。私の仮説もあながち妄想とは言えないだろう。


Posted on 23 Jan 2021, 22:52 - カテゴリ: 郷土史
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牛乳粥の旅

ある欧州料理の店でデザートに牛乳粥が出てきた。米を牛乳と砂糖で煮たもの。店のマスターによれば、オランダ人の主婦から教わったという。次に同じ料理に出会ったのは、スペイン料理店だった。スペイン語でアロス・コン・レチェ(牛乳飯)と言う。そして3度目はトルコ料理店。



『アラビアンナイト(千夜一夜物語)』にこの料理が出てくる。
ある夫婦が盗賊に襲われ、離ればなれになる。妻は道中の安全のため男装して放浪するが、ある町でひょんなことから、その国の王に祭り上げられる。
王となった妻は夫を探すために、町中の人々を集める大宴会を催すことを思いつく。その場で、仇である盗賊の一味を発見し、その場でひっ捕らえる。ちょうどその料理を食べているところだった。町の人々は事情を知らないから、「あの料理を食べるとまずいことになるらしい」と噂する。
次にこの町にやって来たのが盗賊の棟梁。席はいっぱいだが、件の料理の前だけは空いていた。以前のことがあるので町の人は座らない。そこに座った盗賊はたちまちひっ捕らえられた。
そしてとうとう、別れた夫がこの町にやってくる。例によって件の料理の前だけが空いている。そこに座った夫を妻が発見し、無事の再会となる。(美しきズームルッドと「栄光」の息子アリシャールとの物語)

この料理を井上瑞子 は『アラビアンナイト博物館』でサフラン・ライスとしている。しかし私が読んだ『完訳 千一夜物語』(岩波文庫)では「クリーム飯」と書いてあるから、牛乳粥であっただろうと思う。

アラビアンナイトは10世紀ごろのバグダッド中心の物語だが、現在のトルコも同じ文化圏だろう。スペインも8-15世紀はイスラム国(ウマイヤ朝)だった。またオランダも15〜17世紀はスペイン占領下だった。

そう思っていたところ、3世紀ごろの古代インドを舞台とした『ラーマーヤナ』を読むと、古代インドで牛乳粥が祭礼で供えられていたことを知った。釈迦が森林での苦行から出てきて、村娘から饗応されたのも牛乳粥だった。

中世イスラム帝国はインド西部、現在のパキスタン付近まで進出した、それらを考えるとこの牛乳粥は、インド→イスラム帝国→トルコ→スペイン→オランダ→日本に住む私のもとへと旅してきたのだろう。



Posted on 16 Dec 2022, 14:19 - カテゴリ: 料理
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Posted on 18 Oct 2020, 1:28 - カテゴリ: ブログ
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