自衛隊の空中ショー
ヘリコプターから投下される水煙。なかなか入らない。国民は手に汗を握りテレビの画面に見入った。このショーに違和を感じた人も居ただろう。じっさい「映像効果が期待される」として強行されたものだったことは後に明らかになる(2011/06/25 東京新聞/日々雑感、日本の将来)。「きょうが限界だと判断し決心した」。北沢俊美防衛相は17日、陸上自衛隊のヘリコプターが水の投下を終えた後に記者会見。硬い表情を崩さず、重い決断を下した心情を吐露した。(2011年3月17日 東京新聞)
効果は薄く危険な作戦。放射能だけではない。高熱のところへ水を投下すれば水蒸気爆発によりヘリ墜落の恐れがある。「きょうが限界」という言葉にも緊迫したものが伺える。
その「きょうが限界」の意味も後に明らかになる。翌日には東京消防庁からハイパーレスキューが到着し、自衛隊の出番が無くなるからだ。ハイパーレスキューは2日間の作業でプールをいっぱいにした。
震災2周年の東日本大震災追悼式での天皇陛下のおことば(2013年3月11日 朝日)で救援活動を労う言葉がある。
「救援活動に当たった自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする…」
震災直後の『おことば』にあったのと同じ文言。ちょっと気になったのはその順番。いずれも今回よく働いてくれたので功績順という訳にはいかない。あえて順番を付けるとすれば私なら「消防、海上保安、警察、自衛隊」となる。なぜかと言うと、国民の生命と財産を守るこれら組織のうち、自然災害を主務とするのは消防だから(参考記事:『餅は餅屋』)。
『おことば』の中での順番はささいなことだ。しかし、原発事故対応もこの順番になっていたことは大きな問題だ。火事を消すのと違って相手が原発では消防の手には負えないだろうと思った人も居るだろう。しかし自衛隊こそ専門じゃなかった。
東京消防庁の消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー)は1995年の阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件をきっかけに組織された。NBC(核、細菌、化学)にも対応する特殊部隊だ(東京消防庁 第三消防本部消防救助機動部隊)。部隊は事故発生の翌日12日から、当然自分たちに声がかかるものと手ぐすね引いて作戦を立てていた。16日には、東京の荒川河川敷で訓練を実施している。なぜ出動が18日まで引き伸ばされたのだろうか。
国を防るということがどういうことなのか。「国民の生命と財産を守る」との美辞で逆のことをやろうとする者も居る。教訓のひとつとしたい。
参考リンク: ハイパーレスキュー隊記者会見東京消防庁・ハイパーレスキュー隊 記者会見 2011年3月19日深夜(哲野イサクの地方見聞録)
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在外邦人の保護
逆にたとえば在日外国公館が暴徒に囲まれ、外交官が日本を脱出しようとする。空港へ移動するまでの安全を、当該国の軍隊に日本へ進駐して貰い護衛させるのか?武器での保護対象拡大 与党の邦人保護PT 自衛隊法改正へ報告書
アルジェリア人質事件を受け、海外での邦人保護のあり方を検討してきた自民・公明両党のプロジェクトチーム(PT)は8日、自衛隊法を改正し、現行の航空機・船舶に加えて車両での邦人輸送を認めることなどを柱とする報告書をまとめた。武器使用基準の緩和を見送る一方、輸送中の保護対象者を拡大し、邦人らだけでなく随行の政府関係者や通訳、運転手らも武器で守れるようにする。(2013.3.8 産経)
軍隊の活動場所は海外ということからすれば、その舞台を拡げることになるだろう。しかし、どのような場合にそれができるのか。今回のケースで英国もフランスも軍を出していない。出動すればアルジェリアの主権侵害になるからだ。
日清戦争の発端は、朝鮮半島で起きた東学党の乱にあたり「居留邦人の保護」を口実にした日本軍の出兵だった。「在外自国民の保護」は戦争開始の口実としてはもっとも常套な手段。それが世界の常識。
参考リンク:
甲午農民戦争(ウィキペディア)
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「国防軍」より「広域消防隊」
さきに述べたように、軍隊は国内でも国境地帯でも活動してはいけないのが近代国家の原則。他国を侵略することにしかその使命はない。そうはいっても、もし他国が侵略してきたら?そのときは戦わずにはおれないだろう。警察だろうが軍隊だろうが、そんな原則論を振りかざす場合ではない。ただ言えば、他国が日本を攻めて来たことなど、過去に日本史上ただ1度しかなかったくらい例外的な出来事。そのためだけに「国防軍」を置くのはムダ。
日本の場合、他国が攻めてくるよりは自然災害のほうが圧倒的に確率が高い。さきの大震災での自衛隊の活躍ぶりはみんな見たところ。災害派遣を例外ではなく主任務に据えてよい。自衛隊を「国防軍」でなく「広域消防隊」と改名するよう私が提案する理由。
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戦争の性格
南京虐殺はあったのか、無かったのか。殺されたのは南京市民だったのか、軍服を脱ぎ捨て市民に紛れ込んだ中国兵だったのか。殺したのは日本兵だったのか、混乱した中国兵だったのか。このような議論にあまり意味は無い。視野を広げるため、もう少し引いたほうがよい。その事件はどこで起こったのか、そこになぜ日本兵が居たのか。
自衛の戦争だとか野蛮あるいは植民地支配から開放のための戦争だとか。人と人が組織的に殺し合う戦争に良いも悪いも無いと思うが、戦場がどこかを見るだけで性格は見分けられる。
日本が外国から攻めて来られたことは、さきの大戦末期や日本書紀以前を例外とすれば、史上ただ一度、鎌倉時代の元寇まで遡る。それ以外はすべて日本が他国を侵略してきた。「もし○○国が攻めてきたら」という懸念をする前に、その○○国のほうでは「もし日本が攻めてきたら」という懸念を、より現実的なものとして持っているということを理解するべき。
上図は日本がかって構想していた大東亜共栄圏の版図。読谷バーチャル平和資料館提供。
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餅は餅屋
1.電話するのはどっち?人が倒れているのを見たら、電話するのは110番ではなく119番。さて、警察と消防はどう違うのか。救急車はなぜ消防署なんだろう。
警察と消防、それに軍隊は、それぞれに管轄がある。人の生命や財産を脅かすものが人である場合は警察で、それ以外のもの、火事、自然災害、伝染病など、すべて消防の担当となる。放火はどっち?というのはややこしい。また救急についてはまとめて消防が担当している。
2.軍隊と警察の領域
軍隊は警察と似てるが、どこが違うのか。警察より強いのが軍隊?そういう問題ではない。相手が自国民の場合は警察で、外国人のときは軍隊?そうではない。国内で犯罪を犯せば、それが外人であっても警察の管轄。
軍隊と警察の管轄の違いは、その活動場所。国内が警察で、国外で活動するのが軍隊。なせこのように分かれているかというと、軍隊は裁判なしに人を殺すことができる。そんな危ない部隊に国内で活動されては困る。軍隊が自国民に対して銃口を向けてはならないというのは近代国家の常識(映画『マーシャル・ロー』などを見よ)。
いろんなツッコミがあるかもしれない。警察も拳銃を使うことがある。軍隊でも理不尽に人を殺せば裁かれる。軍も治安出動、災害支援などでは国内で活動する。などなど。しかしそれらは例外で、近代国家では上に述べたものが基本的な考え方となっている。
3.国境は誰が守るのか
昨年来、領土問題を巡って不穏な動きが続いている。これを受けてか安倍政権は防衛費、事実上の軍事費を11年振りに増額しようとしている。ちょっと待って。「領土問題」と軍事費がどうリンクするのか。
たとえば尖閣諸島は日本の領土だとすると国内。ならば軍隊は活動できず、警察。ただし海上は海上保安が警察と消防の役割を一手に引き受ける。中国にとっても彼らの「国内」だから軍艦は来ずに「海洋監視船」がやって来る。国内は警察、国外は軍隊という分担が近代国家での常識だとすると、国境はどうか。これも警察か国境警備隊、日本では海上保安(Japan Cost Guard)で、軍隊の出る幕ではない。ちなみに海上保安庁は防衛省ではなく国土交通省。
なぜ国境警備が軍隊でないかというと、そんなところに軍隊がいたら、軍事衝突から戦争に発展する危険がある。もし国境付近に軍隊を配備したならば、攻めてくる予兆と相手国は判断する。これも近代国家の約束事。
中国海軍の艦船が海上自衛隊の護衛艦にレーダー照射したという。中国側は否定し日本側は証拠を出せないから「薮の中」にしかならないが、それが起こったのが、なぜ尖閣諸島付近ではなく東シナ海の「公海上」とされているのか。海上保安庁と海上自衛隊との管轄の違いを考えると合点がいくはずだ。
国境で領土を守るのも軍隊ではないとしたら、そもそも軍隊は何のためにあるのか。もちろん、他国を侵略するためのもの。他国から見れば軍隊だが憲法9条で「専守防衛」が建前の自衛隊は、いったいどこで活躍するのだろうか? 答えは簡単。そんなもの必要ない。自衛隊が役に立つとすれば災害時の救援しかないだろう。ならば国防軍ではなく「広域消防隊」とすれば良いのではないか。
(Originally posted on 10 Mar 2013, 22:45)
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