百舌鳥精進
[code][/code]地元のモズ日本共産党後援会ニュースやFacebookに連載した記事。せっかくなので、ここにまとめて置いておく。第1弾は百舌鳥精進(もずしょうじん)
百舌鳥(堺市北区)の旧家では、おせち料理に肉や魚を入れない。いわゆる「百舌鳥精進」。このような風習は他所ではあまり見ない。その謂れを調べると、3つ見つかった。
1) あるとき疫病が流行り、八幡さまがそれを救ってくださった。
2)むかし井戸を掘っても赤い水しか出なかった。弘法大師が清くしてくださった。
3)御廟山は立ち入り禁止だったものを、ある男が薪を採ろうとして堀を渡ったので、山の主である八幡大神がお怒りになった。
これらのうちいずれが本当か詮索するのは野暮で、いずれも古くから伝えられて来たものだろう。いずれの言い伝えも平安あるいは奈良時代ごろに遡りそうだ。
百舌鳥精進には正月三ヵ日生臭ものを食べないばかりでなく、家に篭もって外出を避けるとか、訪問客とも喫食を同じにしないなどの風習が伝えられているところは、1の疫病の話がもっともらしい。外来者が疫病などの災いをもたらすことは、どこでも昔から恐れられている。百舌鳥では村の西境界2箇所で地蔵が祀られている。
2の「井戸の水が赤かった」とは、百舌鳥赤畑町の地名由来として魅力的だ。弘法大師が水を清めたという話は各地で伝えられている。
1、2ともに助けてくれたのは八幡さまであったり弘法大師であったりする。明治に神仏分離されたが、昔は神仏習合、奈良時代には「八幡大菩薩」を自称していたくらいだから、神か仏かどちらでも良かったのだろう。
3は1、2と比べ、少し毛色が違う。これは御廟山が応神天皇陵だとの伝承と、応神天皇は八幡大神でもあるということから来ている。ほかの古墳と違って御廟山は大きな楠が生い茂る森となっており、この山の禁秘が古くから守られていたことを窺がわせる。宮内庁は古市にある誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳を応神陵としているが、百舌鳥の御廟山古墳も陵墓参考地としている。
1)2)折口信夫 三郷巷談 大正2年
3)柿澤和代 堺おもしろ話 其の1 堺観光ボランティア協会 2015
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