橋下さんの深謀遠慮
下大阪市長の意向を受けて大阪市教育委員会は桜宮高校体育科の入試中止を決めたが、在校生、保護者はこれに反発している。この一連について東芝弘明さんのツイートに私は同感する。桜宮高校への橋下さんの圧力の醜さ、大阪市教育委員会のふがいなさ、桜宮高校生のすばらしさ。今日は、若者に希望を感じ、教育委員会に失望し、維新の会の傲慢さを味わった日になった。高校生、がんばれ、大人もがんばろう。
東芝弘明さん (@sibaapple) 1月 21, 2013
これとは異なる考えの人もいるだろう。今回の橋下の行動は賞賛されるべきで、反発する在校生は自分勝手あるいは傲慢と考える人も。
橋下徹はそのポピュリズム的政治手法を批判されており、今回の入試中止や教員総入れ替えの提案もパフォーマンスだとも指摘されている。しかしいつも思うのだが、われわれ大衆はそのようなことを望んだのだろうか?
体罰(「暴力事件」?)で自殺者を出した桜宮高校の事件を聞いて、「そんな学校は潰してしまえ」と、どれほどの人が思ったのか。犠牲者の父母が「息子の命を奪った学校は消えてしまっていい」と語ったとも聞かない。
いまネットでは橋下を賞賛し、それに反発する生徒をバッシングする声が見られる。この人たちに今回の入試中止についての意見を問うならば「そのくらいのショック療法は必要」と答えるのだろう。しかしその人たちも当初は「橋下さん、ちょっと過激」と思ったのではないだろうか。
賛否ありそうな問題に橋下は「こっち」と決め付け、それをどんな手を使ってでも強引に進めようとする。そういうところを「危険」と感じるか「頼もしい」と感じるかで分かれるのだろう。
「橋下さんの言うことは乱暴かもしれないが、きっと橋下さんには深謀遠慮があるのだろう」と判断を預けてしまっていいのか。またどんな手を使ってもいいのか。その2つをよく考えねばならないと思う。
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