応神天皇陵は存在しない
応神天皇陵として宮内庁が治定しているのは惠我藻伏崗陵(誉田御廟山古墳・羽曳野市)である。例によって考古学者からは批判かまびすしい。本当の応神天皇陵はどこにあるのか?私は答える。応神天皇陵は存在しない。『古事記』に応神天皇の「御陵は川内の恵賀の裳伏岡にあり」とある。しかし『日本書紀』に陵名の記載はない。日本書紀は他の歴代天皇の陵をすべて記載しているのに、ただひとつ応神天皇についてのみ、それを記載していない。(ただし、雄略紀のエピソードに「蓬蔂丘の誉田陵」の言及がある。)
古事記と日本書紀は同時代の朝廷内にあった歴史編纂プロジェクトだから、その伝承を古事記は知っていて、日本書紀は知らなかったということはない。日本書紀は応神天皇陵の伝承を知ってはいたが、あえてそれを記載しなかったのである。
なぜかというと、応神は神だから。例外はあるが、たいていの神に墓は無い。
応神天皇陵として宮内庁が治定している誉田御廟山古墳は、その地で「御廟山」と呼ばれていた。「陵」は天皇あるいは皇后の遺体を埋葬する施設であるが、「廟」は祖先神の霊を祀る施設である。応神は神だから遺体は無く、「陵」を作れないから、代わりに霊を祀る「廟」が作られたのである。
霊はいくらでも分霊できるので、廟もいくつでも作ることができる。誉田御廟山古墳(羽曳野市)と別に御廟山古墳(堺市)があって、こちらにも応神天皇が祀られている。
江戸時代の堺近郊の地図に「仁徳帝陵」などが書かれているが、御廟山古墳は「応神帝廟」として現れる。
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