自衛隊の主任務
20年前の阪神淡路大震災で自衛隊の救援活動はスムースにいかなかった。自衛隊の災害派遣は県知事の要請がなければならない。しかし県知事自身も自宅で被災しており、県庁に行けない状況。要請には時間が掛かった。正式要請も無く防衛大臣からの命令も無い中、伊丹駐屯地は連隊長の判断で出動、阪急電車伊丹駅へと向かった。列車は脱線し、駅舎は1階部分が完全に崩壊していた。この光景を目の当たりにし、隊員たちは呆然と立ち尽くした。
(写真:崩れた阪急電鉄伊丹駅駅舎と脱線した阪急電車=1995年1月17日、兵庫県伊丹市/時事通信)
震災後のテレビ番組で、自衛隊による救援活動が十分でなかったことが話題となった。コメンテータたちの吊し上げに遭い、自衛隊の広報担当者も最後にキレて、こう叫んだ。
「崩壊した建物のガレキが積み上がっている、あの状況下で救出活動をしろと言われても、私たちにはそのための機材もありませんし、そのような訓練も受けておりません。」
そう。みんな都度かってな解釈をしようとするが、災害派遣は自衛隊の主務ではなく、あくまで例外。
自衛隊は人を殺すのが主任務で、人の命を救うことではない。
関連記事:
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トンキン湾事件
北朝鮮の挑発的な言動は口だけでは収まらないかもしれない恐ろしさがある。北朝鮮はもちろん、関係国も軍事的緊張をもたらす恐れのある行為は自制し外交努力に徹するべきだ。そんな中「非武装地帯近くに米軍ヘリ墜落」との報道があった(朝鮮日報 2013/04/16)米韓合同軍事演習中の事故とのこと。1964年、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍とアメリカ海軍が交戦する事件があった。「報復」として米国がベトナム北爆(写真)を開始し、ベトナム戦争に本格的に介入するきっかけとなった。事件のあったのがトンキン湾内だったのか公海上だったのか、どちらが先に撃ったのかなど細かい議論はしないでおこう。要は米国の軍事挑発であり陰謀であったことはいまや明らかになっている。
いかなる名目でも国境線近くでの軍の活動は軍事的衝突を招きかねない。国境近くに軍を展開すれば、それは攻め込むぞと宣言していると解釈される。これを避けるため朝鮮半島の38°線には南北それぞれ2kmの非武装地帯を設けている。
今回の米韓合同軍事演習も非武装地帯に踏み込んでない。が、ギリギリのところでやっていた。北朝鮮はミサイル発射台を日本海側に移動したことで、攻撃の姿勢を現したとされる。しかし瀬戸際戦術を採っているのは北朝鮮ばかりではない。
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9.11テロでただ一人裁かれた者
テロは憎むべきものであり、厳しく法の裁きを受けなければならない。ボストン・マラソンでの爆破事件の捜査がどう展開するかは今後注目したいところ。ところで、2001年9月11日の対米同時多発テロは、その後どうなったか。もう10年以上経ったが、有罪の裁きを受けたのはたった1人しか居ない。
写真提供: U.S. Federal Government
そう言えばヘンだよね。あれだけ大規模なテロだから、ウサーマ・ビン・ラディン(写真)が首謀者だったとしても、手下がいっぱい居るはず。いやいやビン・ラディンは裁判などなく、米国特殊部隊によって一方的に殺されただけ。
イラクのサッダーム・フセインは裁判で死刑になった。いやいや、彼の罪状はシーア派住民に対する大量殺人などであって、9.11テロともアルカイダとも関わりがない。
米国でただ一人終身刑を受けているのはザカリアス・ムサウイというモロッコ出身者。罪状はというと、航空訓練学校で成績は悪いのにジャンボジェット機の操縦を習いたがっていたというもの(習得できずに退学)。(もう1人、ドイツでムニール・エル・モタサデクというモロッコ人元留学生が禁固15年の有罪判決を受けている。)
9.1同時1多発テロは米国の国内線航空機がハイジャックされ、国内施設に突っこんだもの。国内犯罪として米国がその警察力で米国内を捜査し、米国の法律によって容疑者の拘束も、犯罪者を裁くこともできるはず。
しかし実行犯はみんな旅客機とともに死に、地上の共犯などなかったことになっている。代わりにアルカイダという国際テロ組織が主犯と見立て、ブッシュ大統領(当時)は「対テロ戦争」を宣言した。アルカイダ指導者をかくまっているという理由でアフガニスタンを侵攻、またイラクにも侵攻した。イラクとアルカイダの関係はCIAのでっち上げだったことは後に明らかになる。
自国内で起きたテロ事件を口実に進められた米国の「対テロ戦争」。いったい何十万人が犠牲となったろう。
関連記事
1.対イラク戦争の正義?
2.パナマ空爆 - 犯罪者を捉えるやり方
3.サラエボ事件 - 第一次世界大戦はいかにして始められたか
参考リンク
ザカリアス・ムサウイ(ウィキペディア)
Original Posted on 23 Apr 2013, 12:50
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どれだけ武装すれば安心?
ならず者が横行する世界の現状で、理想論ばかり言っておられない。」平和憲法に対する疑念はそんな風に出てくる。「絶対平和という非現実的な共同幻想」(日本維新の会 綱領)。「一国平和主義的観念論」(自由民主党 2010年綱領)。昨今の情勢を見ていると心配はある。では、どの程度の備えをしておけば良いのか。
次の図を見て、どういうことを感じるだろうか。少し古いが2009年の各国の軍事費。
どう見ても米国の軍事力は破格。第2位の中国でさえ、ねじ伏せようと思えばそれもできそうな圧倒的な差がある。でも米国はそうしない。米国が戦争の相手に選んだのはもっと弱小のイラクでありアフガン。あるいは中南米の小国だった。北朝鮮は統計に載っていないが、10位の韓国よりも下だろう。彼らの焦りも分からないではない。
しかし米国はベトナムを打ち負かすことはできなかった。後ろ立てだったソ連が崩壊した今も、目の前の小国キューバに手を出せない。あるいは国境紛争を抱える中国とインドの軍事費にも5倍以上の差がある。それらを見ると、「軍事バランス」だとか、世界は軍事だけでは決しないことが分かる。
日本はこの年の統計で6位。東アジアで見ると、いまや中国に次いで押しもおされぬ軍事大国となっている。この上どれだけ軍備を増強すれば満足なのだろう。
視点を変えてみよう。韓国は北朝鮮と形式上は戦争中で、いまは休戦しているにすぎない。平和憲法をいただく日本がその韓国よりも軍事費が多いという事実。ベトナムは米国との戦争が終わったあとの1979年、中国からの侵攻を受けて撃退したという経験を持つ。他国が攻めて来たことなど、史上ただ1度、13世紀の元寇にまで遡る日本の軍事費がベトナムの20倍(参考2)という事実。これらを、あなたはどう考えるだろう。
参考リンク:
1. 改憲 危険な“大合唱” (赤旗 2013年4月7日)
2. 軍事費 国別ランキング(2011年) (世界ランキング統計局 2012/10/28)
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イラク戦争は何だったのか
2003年3月20日、米英は地上軍を侵攻、イラク戦争を開始した。これにいち早く支持を表明したのが当時の小泉内閣だった。「我が国は、我が国自身の国益を踏まえ、かつ国際社会の責任ある一員として、我が国の同盟国である米国をはじめとする国々によるこの度のイラクに対する武力行使を支持します」(内閣総理大臣談話 平成15年3月20日)。
冷戦と呼ばれた時代は、ソ連と米国をそれぞれを中心とする東西ブロックの対立構造だった。ソ連の崩壊後、当時の米国大統領ブッシュは対テロ戦争を宣言。テロリストの側に付くか、米国側に付くかを各国に迫ったのだった。米国に尻尾を振り付いていく道を選んだのは日本ばかりではない。
イラクという国は、日本はもちろん米国も一度も攻撃したことがない。将来にもその可能性はほとんど無かった。武力侵攻の理由とされた大量破壊兵器は無かったし、国際テロ組織アルカイダとの関係も、CIAによる捏造だった。それを無条件に信じたのが英国であり日本だった。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」(日本国憲法前文)を投げ捨て、米国の軍事戦略にどこまでも従う道を選択した。道理無きイラク戦争への支持は、それへ大きく踏み出した一歩だった。
マスターの部屋 関連記事: 対イラク戦争の大義
関連リンク:
1.きょうの潮流(2013年3月20日 赤旗)
2.イラク戦争10年 福田元首相「我々に情報はなかった」(朝日新聞デジタル 3月20日)
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