牛乳粥の旅

ある欧州料理の店でデザートに牛乳粥が出てきた。米を牛乳と砂糖で煮たもの。店のマスターによれば、オランダ人の主婦から教わったという。次に同じ料理に出会ったのは、スペイン料理店だった。スペイン語でアロス・コン・レチェ(牛乳飯)と言う。そして3度目はトルコ料理店。



『アラビアンナイト(千夜一夜物語)』にこの料理が出てくる。
ある夫婦が盗賊に襲われ、離ればなれになる。妻は道中の安全のため男装して放浪するが、ある町でひょんなことから、その国の王に祭り上げられる。
王となった妻は夫を探すために、町中の人々を集める大宴会を催すことを思いつく。その場で、仇である盗賊の一味を発見し、その場でひっ捕らえる。ちょうどその料理を食べているところだった。町の人々は事情を知らないから、「あの料理を食べるとまずいことになるらしい」と噂する。
次にこの町にやって来たのが盗賊の棟梁。席はいっぱいだが、件の料理の前だけは空いていた。以前のことがあるので町の人は座らない。そこに座った盗賊はたちまちひっ捕らえられた。
そしてとうとう、別れた夫がこの町にやってくる。例によって件の料理の前だけが空いている。そこに座った夫を妻が発見し、無事の再会となる。(美しきズームルッドと「栄光」の息子アリシャールとの物語)

この料理を井上瑞子 は『アラビアンナイト美術館』でサフラン・ライスとしている。しかし私が読んだ『完訳 千一夜物語』(岩波文庫)では「クリーム飯」と書いてあるから、牛乳粥であっただろうと思う。

アラビアンナイトは10世紀ごろのバグダッド中心の物語だが、現在のトルコも同じ文化圏だろう。スペインも8-15世紀はイスラム国(ウマイヤ朝)だった。またオランダも15〜17世紀はスペイン占領下だった。

そう思っていたところ、3世紀ごろの古代インドを舞台とした『ラーマーヤナ』を読むと、古代インドで牛乳粥が祭礼で供えられていたことを知った。釈迦が森林での苦行から出てきて、村娘から饗応されたのも牛乳粥だった。

中世イスラム帝国はインド西部、現在のパキスタン付近まで進出した、それらを考えるとこの牛乳粥は、インド→イスラム帝国→トルコ→スペイン→オランダ→日本に住む私のもとへと旅してきたのだろう。



Posted on 23 Jan 2021, 21:42 - カテゴリ: 料理
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