3.11以降の日本

2011年3月11日は、日本の大きい画期になった。未曾有の大震災に加えて原発の重大事故。全電源喪失というニュースを聞いて、たまたま直前に吉井英勝氏の著書を読んでいた私には、人類がまだ見たことのない悲惨を予見できた。そして、その後の経過は恐れていたとおりの事態となった。

3.11以降の日本が、それまでとは大きく違ったことに私は気付く。大勢の若者が救援ボランティアに参加するなど、私たちの絆が深まったこと。原発に関して私たちはずっと騙されていたことに気づいたこと。ネットなどを通じて若者たちが自ら組織し行動を起こすようになったことだ。

原発推進勢力がいかに策を講じようと、国会を取り巻く再稼働反対の声に押し切ることはできず、原発ゼロはいまも続いている。


(2014年8月30日、国会正門前・しんぶん赤旗)

いま日本は、平和国家から戦争国家への大きな曲がり角にある。隣国からの脅威を煽りながら、それとは関係ない戦争に首を突っ込もうとする。日本が攻撃を受けていなくても、日本の周辺でなくても、地球の裏側まで自衛隊を送ろうというものだ。

「政府には国民の生命と財産を守る義務がある」と言う。どこかの国が攻めてくるかもしれないという空想よりも、この国でもっとも起こり得る危険は自然災害であり、原発の脅威だ。

たとえ自民党、公明党が国会で多数であっても、反対する国民の大きな声で包囲すれば、戦争法案を止めることが必ずできる。お上のやることに黙って従う、もうそんな国民ではなくなっていると、私は信じる。

Posted on 28 Jun 2015, 11:16 - カテゴリ: 政治
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日本共産党が党名を変えない理由

これについては日本共産党のQ&Aカクサン部長が答えている。その上で、なぜこの問いが発せられるか、私なりの考察を加えてみたい。

この疑問の多くは善意から発している。「共産党」や「共産主義」というと、旧ソ連や中国、北朝鮮のマイナス・イメージがある。あるいは現体制をそっくりひっくり返す極端な主張を想像する。ところが、日本共産党の主張を聞いてみると、旧ソ連や中国、北朝鮮とは無縁だし、主張は穏便でまっとうに見える。それならば……と、いうことから。

先日、東京大学でケインズ経済学者の大瀧雅之教授と本共産党副委員長の小池晃との討論会があった(しんぶん赤旗 日曜版 2013.1.27)。すごい対決になると思いきや、日本の経済政策について両者はほとんど一致したという。

それもそのはずで、日本共産党は、日本を当面は資本主義を前提に、大企業・財界の横暴とアメリカ言いなりの政治を正そうとしているだけだから。では共産主義化は諦めたのかというと、そうではない。資本主義下での改革の後、共産主義への発展の展望を持っている。

では、なぜ一気に共産主義に向かうのではなく、当面資本主義下での改革なのか。理由は2つあると私は思う。(日本共産党公式の立場は綱領参照。)


第1は、いまの日本は、自分の国のことを自分たちで決められないということ。
たとえば原発ゼロへ舵を切ろうとすると、財界やアメリカが横槍を入れてくる(既出記事)。

消費税にしても何にしても、国民の願いとは真反対のことを政府は進めることができる。民意を表さない選挙制度がそれを可能にしている。マスコミによる誘導も使って。

財界やアメリカの支配から脱し、民主主義を開花させることが、いまの日本にはまず必要なのだ。

第2は、民主主義の無いところに「共産主義」を打ち立てることの危険。
「共産党は批判勢力として少数ならば良いが、政権を取ったら大変」と、心配するむきもある。その不安には正当な面もある。旧ソ連や中国、また朝鮮半島の問題は、民主主義の経験が少なかったということもある。独裁者が権力を握り、国民は悲惨を味わった。

戦前のドイツや日本もそうだったが、いまもその危険はある。共産党とは限らない、いずれかの勢力がいったん権力を握ったら、自由な言論を封殺するかもしれない。そうなったとき良識ある国民はそれに抵抗できるだろうか?

「共産主義」にモデルは無い。むしろ将来の国民が手探りでその姿を構築していくものだろう。その過程では危ういことも起こる。誤りがあればそれを修正する力、民主主義を徹底し発展させておかないと、ほんとうに危険だということを、私は警告したい。

参考:
* しんぶん赤旗 2013年6・7月号外(PDF)
納得させられるポスター(Facebookより)

Posted on 18 Jul 2013, 12:54 - カテゴリ: 政治
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政治を変える

原発推進勢力が国会で多数を占める中、一時はすべての原発が止まった。その力になったものが何であったかを思い起こそう。

福島第1原発の過酷事故を予見した吉井英勝議員の警告は、残念ながら事故を未然に防ぐことはできなかった。しかし事故後この国会質問の記録がネットで話題になり、あの事故は天災ではなく人災だったことが衆知となった。原発技術の未熟さ、安全基準の甘さが問題となったことで原発の再稼働はできなくなったのだった。

途中で玄海原発が再稼働されようとしたとき、いわゆる「やらせメール」の内部告発が『しんぶん赤旗』に持ち込まれ、国会でも取り上げられて再稼働が断念されたこと、ネットに端を発した官邸前抗議行動、大阪市長、滋賀県知事などの裏切りで大飯原発が再稼働されたことなども大きなエピソードだ。その中でも吉井議員の国会質問の意義は大きい。

ところで吉井議員は2005年の総選挙で比例近畿ブロック定数29の最下位で当選している。この議席がなかったら、あの歴史的な国会質問も無かったかもしれない。

あなたの1票、さらに家族、友人、知人の5票、10票が、あるいはたったの1議席が政治を変え、歴史を変える。この力を確信しよう。

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1票だけじゃない


Posted on 20 Dec 2012, 12:04 - カテゴリ: 政治
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1票だけじゃない

「またかよー」と、マスコミの選挙情勢報道にうんざりした人も多いでしょう。小選挙区では第1党が圧勝するシステムなのでしかたがない。自分の1票ではどうしようもない。

しかし、私たちに与えられた政治を変える機会は1票だけじゃない。すくなくとも選挙区と比例区の2票持っている(衆議院定数480のうち小選挙区が300なので、比例は0.6票なのかもしれないが……)。家族、友人と話し合えば4票、6票、10票となります。

今度の選挙は前回のように有力候補2人のうちどちらがマシかを値踏みするというものではありません。下馬評の「有力候補」などを気にせず、どの党どの候補者がまっとうなのか、私たちの思いを託せるのか。それを見極め、投票行動で示そうではありませんか。過半数あるいは安定多数、絶対多数をどの党、あるいはどの政党グループが牛耳るかは大問題です。しかし民主主義は単純な多数決ではありません。われらの代表が1人でも2人でも多くなれば、それだけ質問時間も増え、論戦が世論を動かすものとなります。

1. 家族、友人と選挙について話し合いましょう。棄権は「有力候補」に対する信任と同じです。投票行動で異議を唱えましょう。
2. 積極的に支持できる候補者、政党があるのなら、選挙運動のボランティアをしましょう(公職選挙法により、一部の職種を除いては無給が原則)。
3. 選挙資金カンパを出しましょう。ただし、政党助成金をもらっている党には必要ありません。逆に1人あたり250円の助成金の返還を求めましょう。
4. 候補者宣伝カーや街頭演説を見つけたら手を振るなど声援を送りましょう。候補者と運動員を励まし、もっと頑張ってくれるかもしれません。

選挙は大事ですが、有権者にとって選挙後のフォローも大事です。候補者が当選しても落選しても。陳情や相談を寄せましょう。個人では躊躇があるならば所属団体を通じて、あるいは署名運動などの形で。

陳情先は与党に限りません。野党であっても有権者がバックにあれば、他党も巻き込むことができます。さきの国会では少数野党が共同提案し、最大野党も同調して参議院で問責決議が可決されたではないですか。署名をバックにした陳情が全会一致で採択されることは地方議会ではよくあることです。

大きな組織に所属しない一市民にとって、政治への参加はただ投票所に行くことだけのように思いがちですが、いろいろ方法はあります。反原発の官邸前行動など街頭へ出ることもその一つです。仲間を集め、あるいは個人でも加入できる労働組合に入るのも、自分を守るひとつの方法です。

とりあえず、今度の選挙です。あきらめず行動しましょう!


Posted on 12 Dec 2012, 20:49 - カテゴリ: 政治
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