熊野街道の堺市内ルート

熊野詣への道。泉州地方では「小栗街道」とも呼ばれる。和泉市から南のエリアではそれがよく残っていて道標を見ることも多い。

ところが、堺市内でそのルートは混乱している。 堺市のホームページが紹介する熊野街道は、堺旧市街中央を走る大道筋を南下し、南宗寺の西で旧市街を出て石津神社に向かう。

いっぽう大阪府のホームページが紹介するルートは、伝仁徳天皇陵の西側を南下。南西隅に到達するとそこから御陵通りを西にとって、旧市街南端でさきの道に合流する。
図1熊野街道(境王子から大鳥王子まで)

次の目的地である大鳥大社に向かうのに、御陵通りを西にとるのはどうも不自然だ。これは堺旧市街に立ち寄りたいと取れるが、堺が栄えたのは 室町時代。 熊野詣は平安時代末期から 盛んになるが、その時代だと堺旧市街辺りは海岸線近くの辺鄙な漁村に過ぎない。熊野詣の長い歴史の中でルートは変化しただろう。堺市内でのルートの混乱はこれが理由ではないか。

この疑問を抱いた人は少なくない。 熊野詣の初期は海岸線近くではなく、もっと山側を通っただろう。 研究者の一致しているところは仁徳陵の南西隅まで。その先についていくつかの提案の多くが伝履中天皇陵の西側を通る[1][2]。

しかし私はこれに与できない。…(熊野街道のルート(2)に続く)

[1]和田俊夫「熊野街道と堺市周辺 歴史とその推理」
[2]ふぐD 「御陵通の違和感(熊野街道ルート考)」(ネット上のブログ)

Posted on 12 Oct 2023, 22:43 - カテゴリ: 郷土史
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