飛べないキメラ

小泉総理ー竹中平蔵の構造改革で格差と貧困が拡がったことはよく知られている。経済全体が下降する中での格差拡大だから悲惨。次の図はOECD先進国の名目GDP(シェイブテイル日記)

資本主義には景気循環があり、後退局面では失業と貧困が襲う。それが劇的に進むのを恐慌と呼ぶ。これを避けるために金融緩和や公共事業などで政府が介入する。このケインズの処方箋はやがて効力を失う。代わって1980年代に現れたのが「小さい政府」を標榜し政府の介入を最小限にしようとする、新自由主義。日本では中曽根内閣の国鉄民営化はその先駆けで、郵政民営化の小泉内閣がその典型。

しかし新自由主義論者の「構造改革」、規制緩和は単純に間違い。足かせが多いがために飛び立てないのならば規制緩和も意味があるかもしれない。風船を縛っていた糸を離せば風船は空に舞い上がる。しかし、しぼんだ風船ならば地に落ちる。

アベノミクスは一見すると、かってのケインズ的政策への復古とも見える。だがそうではない。インフレや財政赤字というケインズのマイナス面を拡大し、社会保障基準の引き下げや労働規制緩和など貧困を拡大する新自由主義の毒とを併せ持ったキメラがそれ。

参考外部リンク:
1.竹中平蔵氏と労働規制緩和(2013年02月10日 熊本日日新聞)
2.ケインズ先生の大失敗

Posted on 11 Feb 2013, 20:33 - カテゴリ: 経済
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お金の回りかた

「会社は利益を出している。その利益が配当に回っている傾向はない。給与にも回ってもない。利益はどこにいっているのか。会社の内部留保になっている」と麻生太郎財務・金融相は述べた(JCASTテレビウォッチ)。



このグラフからは、いろんなことが見える。企業の業績は賃金の多寡になんの影響もない。大企業の利益は1998年のバブル崩壊以降も概ね上昇を続けている。いっぽう賃金は確実に減っている。

この間のデフレ不況で寂しくなっているのは庶民の懐だけで、大企業は潤っている。これでは消費不況は解消しないだろう。

ところで着実に増えている内部留保とはなにか。企業はその収益を本来は出資者(株主)に還元するか、一部はそうせずに再投資して事業の拡大のために使う。高度成長期にはそうしてきた。最近は新たに設備投資しても物が売れない。それで使い途の無い金が内部留保として滞留する。いうなればダブついた金が内部留保だ。

いまや内部留保の総計260兆円にのぼる。世界一金がダブついている日本経済で、いくら金融緩和をしても景気の向上には繋がらない理由がここにある。

円高が是正されて株価が上がり、アベノミクスは成功しているではないかと見るむきもある。思惑による動きとはいえ、異常な円高は是正された。しかし最近の貿易赤字の結果が遅れて現れたにすぎないという見方もできる。円安は輸出企業には追い風だが国全体の資産価値が国際的には下がったとも言える。

上昇株を見ると金融、自動車など輸出企業、公共工事期待のセメントやトラック輸送などだ。保有する外債、株式の含み益で経理上は好転しているかもしれない。しかしそれが賃金や設備投資に反映しない限り、実質の経済回復にはならない。

この続きは『自由主義国家ができること』で。

Posted on 14 Feb 2013, 15:18 - カテゴリ: 経済
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米国と比較する日本の外需だのみ

各国の自動車販売台数。いまや世界最大の自動車市場は中国で、2位が米国、3位が日本となっている。(2012年通商白書より、上位3ヶ国のみ取り出した。)


この図を見ていろんなことを思い浮かべるだろう。中国は重要な市場。米国や日本が中国を手放すはずがない。など。

米国の2009年はご存知リーマンショック。だがその後伸びている。同じ時期に日本は縮小している。米国は国内需要を持ち直しているのに対し、日本はますます外需だのみになっていることを示している。

米国のGDPは2011年にはリーマンショック前を回復している(アメリカ経済ニュースBlog)。米国が大幅な金融緩和策で切り抜けたことは知られている。しかし、すでに日本は米国を超える金融緩和を続けてきた(主要国の政策金利の推移図)。その効果が現れないのは日本の場合、国内需要が低迷していることにひとつの理由がある。

関連記事:
物が売れなきゃ始まらない

Posted on 4 Feb 2013, 15:00 - カテゴリ: 経済
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「賃金奴隷」の崩壊

さきに私は人口ピラミッドを示して、少子高齢化が社会保障負担の増大にそのまま繋がらないとした。では何が変わったのか。

かって終身雇用の時代には、労働者の子女の養育は企業が面倒をみていた。家族手当はその一例。公はそれから外れる高齢者や母子家庭などを看ればよい。そういう分担ができていた。

なぜそういう分担ができたかというと、企業にとってその利益の源泉である労働者が、将来に渡っても存続してもらわないと困る。労働者の子女は将来の金の卵で、それを養うことは企業にとっても必要だったから。対して働けなくなった高齢者は企業には必要ない。これは公に任されたのだった。

そういうわけで少子高齢化は高齢者の生活を保護する公の負担を必然的に大きくする。だが公が面倒みなければならない階層は高齢者に止まらない。

小泉政権以来、非正規雇用の比重が大きくなる。彼らは企業にとって使い捨ての人材となる。終身雇用を賃金奴隷と例えるられるかもしれないが、非正規雇用に至るとすでに奴隷とは言えない。単に市場で買うことの出きる生産器材でしかない。奴隷ならばそれが長生きし子供も生んで殖えてくれると、奴隷主にとって嬉しいではないか。できれば病気などもしないよう大切に使うだろう。しかし器材ならば、古くなったり故障すれば買い換えたほうが経済的かもしれぬ。

高度経済成長から停滞期に入る。終身雇用制は崩れ、労働力の流動化が目指されると、失業者は増え、職にありついても家族を養うには充分でない収入。企業が労働者階級の存続さえ責任を負わなくなった現在、公が面倒を見なければならないのは高齢者と子供たち、加えて増大する失業者と、広範に広がったのは必然の結果だった。


Posted on 28 Jan 2013, 15:43 - カテゴリ: 経済
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物が売れなきゃ始まらない

さきに私はこのブログで、日本国民の生活水準を全般的に引き下げることで「日本での人件費も安上がりになって、国内での企業活動も楽になる。」が、財界や官僚の描くシナリオと書いた。しかしこれは成功しない。

賃金が下がり人件費の負担が小さくなったとしても、それで物やサービスを作っても売れない。国民の財布が乏しいからだ。物が売れなきゃ儲ける術がない。「賃金を下げれば企業活動が活発になり雇用が増える」というのは幻想に終わる。

隘路があるとすれば、国内需要に期待せず、輸出にそれを求めるというもの。しかし、どこに売るのか。中国?米国?欧州?いずれも拡大は期待できない。ならば新興国?

日本人は貧しくとも勤勉で、製品を輸出することで大きく成長してきた。しかしそれは昔の話。いまや日本のGDPは世界第3位の経済大国。その国が内需を縮小し他国に需要を求めるなど、マクロに見て成立するわけがない。想像してみよう。米国をはじめすべての国がそういう政策を採ったらどうなる?


Posted on 28 Jan 2013, 13:30 - カテゴリ: 経済
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