お菓子のマドレーヌはフランス産まれの焼き菓子である。 Madeleine はフランス女性(や英語圏)の名前にもよく使われるが、正式には Marie Madeleine マリー・マドレーヌ、そう、マグダラのマリアのフランス名である。 このお菓子の考案者の名がマドレーヌだったとしてさまざま逸話が紹介されているが、なぜ貝の形なのかの説明には飛躍がある。 お急ぎの方は以下の寄り道をすっとばして結論へどうぞ。

各国語による聖女の名前

ついでにマグダラのマリアの各国語を紹介しておこう。 なお、最古の新約聖書はギリシャ語で書かれている。

『リリー・マルレーン』を唄ったマレーネ・デートリッヒの本名は Marie Magdalene Dietrich。 ドイツ語圏でも英語と同じ Magdalene のようです。Marlene マルレーンあるいはマレーネはその愛称。

名前の由来

それで日本語だが、新共同訳では「マグダラのマリア」となっている。 ルカによる福音書で最初に彼女が紹介されるところでは 「マグダラの女と呼ばれるマリア(ルカ8:2)」となっている。 ここは英語訳では単に「Mary called Magdalene」となっているところ。 名前に出身地を付けることはよくある。 レオナルド・ダ・ヴィンチは「ヴィンチ村出身のレオナルド」、 パオロ・ベロネーゼは「ベロナ出身のパオロ」である。 マタイによる福音書に ギリシャ語で「Μαγαδανマガダン(マタイ15:39)」 (英語では Magdala マグダラ)という地名が登場するので、 マグダラのマリアはその出身であるとするのが通説である。

しかし、新約聖書に登場する人物で出身地で呼ばれている例は他に無い。 強いて言えば「ナザレのイエス」(ヨハネ19:19など)くらい。カトリック教会ではベタニアに住むマリアとマグダラのマリアを同一人物とした。 そうするとマグダラ出身というのは辻褄が合わなくなる。『黄金伝説』ではマグダラのマリアはベタニアに住み、親からマグダラ地方を引き継いだ領主であるとする。

使徒ペトロの本名はシモン。これもマリアに劣らず一般的な名前なので、 イエスから「岩」という意味のアラム語でケファ(ヨハネ1:42)、ギリシャ語訳ではペトロとあだ名が付けられた。 ならばマリアも「塔」という意味のギリシャ語マガダン、 あるいは塔の婦人という意味でマグダレーネというあだ名が付けられていたとしても不思議ではない。 4-5世紀の聖書学者である聖ヒエロニムスは、彼女の塔のように堅固な信仰から名付けられたという解釈を示したという。

…あなたはペトロ。私はこの岩の上にわたしの教会を建てる。(マタイ16:19) イエスはペトロにこう言ったという。「塔」マグダラのマリアには何を托しただろうか?

お菓子のマドレーヌ

え〜と、そうそう、マドレーヌでしたね。 フランスでいちばん有名な教会、パリで最大の教会はというと、ノートルダム寺院です。 「ノートルダム」というのはフランス語で「Notre-Dame =我らが貴婦人」聖母マリアを意味します。 フランスの守護聖人は聖母マリアなのです。

Botticelli - The birth of Venus

ノートルダムの下で影は薄いですが、聖女マドレーヌも強い人気があります。 たぶん世界最大の聖マドレーヌ寺院は世界遺産にもなっているフランス・ブルゴーニュ地方ヴェズレーにあるものです。 ここヴェズレーはスペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の要所となっています。 スペインの守護聖人はサンチャゴ(聖ヤコブ)です。 で、聖ヤコブのシンボルがホタテ貝(フランス語でcoquille Saint-Jacques)で、 サンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路にはホタテ貝が目印となっているので… お菓子のマドレーヌがホタテ貝の形をしているという、長〜いお話が通説です。

どうもこの話、回りくどくないですか? 私はもっと単純だと考えています。 このふんわり軟らかい甘美なお菓子が聖女マドレーヌにあやかって名付けられた。 聖女マドレーヌ(マグダラのマリア)は民間信仰では類い希な美しい女性であったとされており、 その美しさはしばしば美の女神ビーナスに準えらえれた。 ビーナスと来ればホタテ貝ですって。

写真はフィレンツェ、ウフィッツィ美術館で見たボッティチェリの『ビーナスの誕生』(部分)
Sandro Botticelli, The Birth of Venus (detail) (1485) Galleria degli Uffizi, Florence

15 Dec 2022 結論への内部リンク追加 (初出: 19 Jan 2006)