
ティッツァーノによる『ピエタ(部分)』。 死せるイエスを膝に静かな悲しみを湛えている聖母マリア。 その横で髪を乱し体全体で激情を表わすのが聖女マグダラのマリアである。 <Tiziano Vecellio, Pieta (detail) (1576) Gallerie dell'Accademia, Venice>
イエスの言行を記した福音書には女性も大勢登場するが(マリアは何人?)、 有名な女性は聖母マリアとマグダラのマリアの2人に限られる。 福音書に登場する多くの女性がマグダラのマリアに重ねらたことは先に触れたように、岡田温司の著書に詳しい。 母性が聖母マリアに、その他の女性性のすべてがマグダラのマリアに代表されているように思われる。 このような分担が2人のマリアにできたのは、 聖母マリアの処女懐胎に理由があるのかもしれない。 聖母マリアは至潔の処女とされたため、それに反する女性的な部分は担うことができず、 マグダラのマリアが必要だったとも考えられる。
ここで4つの福音書について説明したい。
福音書とはイエスの言行を記したものだが、
イエス自身が書き記したものは何もなく、弟子たちが記録したものが複数残っている。
じっさいはいくつもの福音書が記されたのであろう。
そのうちの4つが現在正典として残されている。
聖書研究によればいちばん古い(といってもイエス没後何十年か後)ものがマルコによる福音書、
その後にマタイによる福音書とルカによる福音書が書かれ、
これら3つには共通点が多く「共観福音書」と呼ぶ。
ヨハネによる福音書はそれらよりさらに後に書かれた。
これら4つの福音書から
聖母マリアが登場する場面(黒字)と
マグダラのマリアが登場する場面(
赤色斜字)
とを整理したものが以下の表である。
場面 | マルコ Mark | マタイ Matthew | ルカ Luke | ヨハネ John |
受胎告知 Annunciation | ![]() |
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降誕 Nativity | ![]() |
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東方三博士の来訪 Epiphany | ![]() |
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カナでの婚礼 The wedding in Cana | ![]() |
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母と兄弟 Brothers and mother | ![]() |
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宣教の旅 Public Ministry | ![]() |
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磔刑 Crucifixion | ![]() |
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埋葬 Entombment | ![]() |
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復活 Resurrection | ![]() |
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聖母マリアとマグダラのマリアの役割分担で言うと 聖母マリアはイエスの誕生に、そしてイエスの死と復活にかかわるのがマグダラのマリアであることがよく分かる。 このテリトリーからするとイエスの磔刑の場面に聖母マリアが居合わせるのは整合が取れない。 多くの『磔刑図』や『ピエタ』でマグダラのマリアとともに聖母マリアが描かれるのが普通である。 これは先に引用したようにヨハネによる福音書にもとづいている。 ところが4つある福音書のうちでイエス磔刑の場に聖母マリアが居合わせたとするのは ヨハネによる福音書に限られる。
3つの共観福音書で聖母マリアが最後に登場するのは、 宣教の旅のイエスを訪ねるが追い返されてしまうというエピソードである(マルコ3:31-35, マタイ12:46-50, ルカ8:19-21)。 家族を捨て宣教の旅に出たイエスと、それを理解できず案ずるばかりの親心、その断絶が心に浸みる場面である。
ヨハネによる福音書にはこの場面はなく、代わりに聖母はカナでの婚礼の後、 イエスと行動を共にすることになっている(ヨハネ2:12)。 このあと聖母の出番はなく、十字架の下に突如現れる(ヨハネ19:25-27)。 奇妙なことに、磔刑の場に居た聖母が、埋葬されたイエスの墓参りにも行っておらず、 復活したイエスにも会っていない。 穿って見れば、 イエスいまわの際に「愛する弟子」への後継指名をする、 そのためだけに聖母が磔刑の場に引張り出されたのではないかとも思えるのだ。