バチカン市国ではサン・ピエトロ寺院に隣接するバチカン美術館を訪ねた。 歴代教皇のコレクションである絵画、彫刻を見たのち、晩年のミケランジェロが壁画を飾る システィーナ礼拝堂に至る。天井には『天地創造』など旧約聖書の物語。 正面には『最後の審判』が描かれている。
最後の審判のとき。 天の国のキリストが現れ、死せる者も墓の中から呼び出されて天国か地獄かの審判が下る。 裁判官たるイエス・キリストは絵の中央にあって、力強くその手を挙げ判定を示している。 その挙げた右手の横にマリアが寄り添っている。
『最後の審判』は新約聖書のうちのヨハネの黙示録にもとづいている。 この12章に聖母らしき人物は登場するが、子のみ神のもとへ引き上げられ、 母は荒れ野に逃げ込む(黙示録12:5-6)。 聖母マリアをキリストの右に描くのは、 キリストの峻厳な裁きの前でうろたえる人間たちとの間で執り成しをしてくれる存在として、 後の人々が望んだものなのであろうか。
ヨハネの黙示録でキリスト近くに女性が登場するとすれば、何度か出てくる「花嫁」がある。 それがキリストの花嫁だとしたら、聖母はふさわしくない。 もちろん候補者たるのは聖女マグダラのマリアである。
ミケランジェロがこの大壁画を成したとき、 描かれる登場人物はすべて裸身で描かれていたという。 キリストの腰巻も、マリアの衣服も、後に描き足されたものだという。 よって図像学的にこれを読み解くのは難しい。 しかしマリアの衣服を見ると髪は完全には覆われておらず、 衣からは足先がはみ出ている。 後に衣を描き足した絵師も、これを花嫁=マグダラのマリアを想定していたと考えられなくもない。
いっぽうでマリアの衣服を取り去った姿を想像してみるに、 ひねった腰や右腕で胸を隠しているなど、さすがのミケランジェロもマリアのあまりにあらわな姿は避けていたようである。 ミケランジェロがここでマグダラのマリアを描こうとしていたならば、 長く垂らした髪で胸を隠すなどの方法もあったので、 そうしていないのは、彼にはマグダラのマリアをここに上げるつもりは無かったのかもしれない。
けっきょくのところダ・ヴィンチもミケランジェロも、 彼らがマグダラのマリアにどのような思い入れをしていたのかは、 不透明なままである。