そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。

ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。

ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。 (ルカ2:1-7新共同訳)

この時期に住民登録があったという史実は無く、この記述はルカによる創作ではないかとされる。 仮に住民登録があったにせよ、現住所ナザレで登録しても良かったのであり、 身重のマリアにはるばる旅をさせる必要はなかった。 ヨセフの実家はベツレヘムとのことであるが、ならば実家に泊まることはできなかったのであろうか? 宿屋を探すが、どこもいっぱいで、しかたなく家畜小屋で泊まっていたという。 マリアは無事(家畜小屋で)イエスを出産し、住民登録も無事済ませたことであろう。 イエスが産まれて8日目には割礼の儀式も済ませると、彼らはすぐにナザレに戻っている。

ダビデの町

これだけために、 ガリラヤの町ナザレからたぶん150kmも離れた、(未来の夫ヨセフの)実家も身寄りも無いベツレヘムへ、身重のマリアは連れて来られた。 ベツレヘム産まれという戸籍がそれほどの価値のあることなのだろうか? それは旧約聖書中の英雄ダビデ王の出身地だからである。

旧約聖書中の人物でダビデがそれほどに重要なのだろうか? ダビデは英雄サムエルに油を注がれ、サウル王に代わって王位を継いだ人物である。 しかし、サムエルとダビデ王との間に血の繋がりは無い。 ダビデはベツレヘムの町に住む者から、神によって選ばれた (サムエル記上16章以下)。 すなわちイエスも由緒ある血筋など持っていないが、神により選ばれた。 このことが、福音書記者やパウロがダビデにこだわる理由である。 キリスト教の初期を牽引するパウロは、『ローマの信徒たちへの手紙』にこう書いている。

御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです(ローマ1:3-4)

確かに、『ルカによる福音書』(3:23-38)にも、『マタイによる福音書』(1:1-17)にも、アダムから始まり、ダビデより繋がるイエスの系図が記されている。 しかし、どちらも養父ヨセフとイエスとの間に血の繋がりが無いとしているので、この系図にどれほど意味があるのか分からない。 そもそも、ダビデもサムエルと血の繋がりが無く王となったのではなかったか。 また、 はるばるベツレヘムまで出掛けた甲斐があったかと言うと、あまり効果はなかったようである。

岩窟の聖母

Virgine on the rocks

ベツレヘムに身寄りはなかったのかという疑問には、外典である『ヤコブ原福音書』に別の答えがある。 これによればイエスは家畜小屋で産まれたのではなく、 ベツレヘムへの道中でマリアが産気付いたため、近くに洞窟を見付けて、そこで出産したのだという。 レオナルド・ダ・ビンチの『岩窟の聖母』は、このヤコブ原福音書の説話にもとづいている。

このときの産婆が、マリアが処女なのに子を産んだことに気付き仰天する。 ならば大変な噂になったであろう。 異教の神ならいざ知らず、ユダヤの神が不妊の女に子を授けたことはあっても、 処女のまま子を産ませたことはかってなかったのである。

(たぶん天からの)声があって、 お前が見た不思議を、この子がエルサレムに入るまで語ってはならない (ヤコブ原福音書、八木誠一訳)と、口止めされている。 関係者たちは、この口止めの期限が過ぎても語るのを忘れていたらしく、 イエスがエルサレムに入城した後も、磔刑後3日目に墓から姿を消した大事件の後も、 イエスがベツレヘム近くで処女マリアから産まれたことは、話題になっていなかったようである。

プレゼピオ

クリスマスの季節にはカトリック教会や欧米の町のあちこちで、イタリアではプレゼーピオ(家畜小屋の意)と呼ぶ、 イエス生誕の情景を再現するミニチュアが飾られる。さすがバチカンでは実物大の家畜小屋が建てられる。 ここで再現される、誕生間もないイエスを東方三博士が礼拝するエピソードは、 ルカには無く、『マタイによる福音書』のものである。

ルカとは違ってマタイでは、 ヨセフとマリアはもともとベツレヘムの住民であることになっている。 ナザレに移り住んだのはイエス生誕の後で逃れたエジプトから帰還してからのことである。 だからイエス生誕のときはベツレヘムに自分達の家を持っており、仮の宿など必要なかった。 家畜小屋に三博士が訪れるのはルカマタイの奇妙な合成である。

マタイからは東方三博士が、ルカからは羊飼いが家畜小屋にやって来る。 そしてここに馬ではなく牛とロバが居るのは、新約聖書には無く、旧約聖書の『イザヤ書』(1:3)から採られたものである。 当時のユダヤ世界に馬は一般的ではなかった(注1)。本記事タイトルには「馬小屋」と書いたが、厩あるいは家畜小屋が正しい。

ナジル人

イエスが、あるいはその養父ヨセフがベツレヘム出身かどうかは福音書により異なるが、共通して「ナザレのイエス」と呼ばれている。 これも旧約聖書と関係があるらしい。 養父ヨセフの名は『創世記』の登場人物ヤコブの息子の名前であるのだが、ヤコブが今際の床でヨセフを祝福する。 …これらの祝福がヨセフの頭の上にあり兄弟たちから選ばれた者の頭にあるように(創世記49:26) この「選ばれた者」はヘブル語でナジル人(びと)となる。 イエスが「ナザレの」と呼ばれるのは、実は「選ばれた者 = ナジル人」のことではないかとも思われる。

旧約聖書中で「ナジル人」と明記されている人物はサムソンである(土師記13:7)。 そういえばサムソンが産まれるときもその母マノアは天使から受胎告知を受けたのであった。

主の御使いが彼女に現れて言った。「あなたは不妊の女で、子を産んだことがない。だが、身ごもって男の子を産むであろう。(土師記13:3)

テモテへの忠告

イエス・キリストの権威は神が与えたものである。 ならば家系や出生地など、どうでも良かったのではなかったか。 ローマの信徒への手紙ではダビデの家系にこだわったパウロ自身が、別の手紙でこう書いている(パウロの名による別人作とも)。

作り話や切りのない系図に心を奪われたりしないようにと。このような作り話や系図は、信仰による神の救いの計画の実現よりも、むしろ無意味な詮索を引き起こします。 (テモテ1:4)

(注1)馬か驢馬か

聖書当時のユダヤ世界に馬が無かったわけではない。馬は主に軍用のものであって、平時に荷物の運搬や人を乗せるのは驢馬(ロバ)が一般的であった。 (参考リンク:イエスが馬小屋に生まれなかった理由

プレゼピオに馬ではなくロバが居ることで、キリストが馬小屋で生まれたとするのは間違いと論ずるむきもあるが、単にロバは日本には馴染みがないので馬に置き換わっただけのことと、私は思う。

14 Dec 2022聖書当時のユダヤ世界に馬が無かったわけではないことの加筆修正 (初出:15 Mar 2006)