[15] Thu Sep 4 17:05:06 JST 1997 SASA
このあと、続くかもしれませんがとりあえず総括です。 今回の反省点は、まず最初に物資の問題でした。 それは、短絡的には、手に入るマテリアルによっての希望している作品の実現の可・不可 ということです。 しかし此処に来ていろんな状況を見るうちに、考えが変わってきました。 私たちは手ぶらで来て此処の状況に置いて新作を作るべきだったのではないかと。 つまり私たちは、私たちが作品を成立させるかどうかの以前の問題で、問われているのでは ないかと思ったのです。 日本に置いて、制作することの意味合いや、制作の姿勢を「作品のクオリティ」意外のことで 問われることはあまりありません。しかしながら今回は社会的状況や歴史性の中で突きつけられたような 気になっています。そういう意味では今回の作品は大変不十分でした。(素材的スペックの話ではありません。 念のため)また、社会の中での美術のあり方を改めて考える良い契機でした。 私は今、いつかもう一度此処に来て作品を作りたいと思っています。 今度は何も準備すること無しに。
[14] Wed Sep 3 04:36:15 JST 1997 SASA
一昨日、酒井さんが小田さんを通訳にディレクターのミロシュにインタビュー をしました。それによって分かったことは、ここの経済状態が私たちの想像以上に 厳しいということ。美術館でできないことを此処で実現化したかったということ、 等でした。くわしいコンセプトは、きっとマスターがパンフレットを翻訳して 報告してくれるでしょう。 チェコの作家たちはもうほとんど帰り、静かな日々になったと思ったら、 次の企画の「ボヘミア・ローザ」という若者を対象としたワークショップが 明日3日から始まります。
[13] Sun Aug 31 20:45:58 JST 1997 ODA
作家の皆さんもオープニングが終わり一息という Plasy 村です。 これからはゆっくりとしたチェコ時間で生活しなければいけないわけです。 ということは、朝の10時から Bar に行ってちびちびとビールに浸るのでしょうか? Bar は基本的に男の世界で、濃いスラブ顔のおじさんの憩いの場所のようです。 このペースで展覧会も進行しています。
[12] Sun Aug 31 20:45:07 JST 1997 SASA
教会の方では、続けてコンサートが行われています。 私たち、日本から?参加したメンバーでは、クリストフの演奏も行われました。 教会の聖堂の中にコンピュータを置き、いつの間にか始まっています。 回廊にもいくつかのスピーカーが設置され、聴衆は様々に歩きながら音と出会います。

[11] Sun Aug 31 20:44:16 JST 1997 SASA
オープニング間際まで、作家たちはセッティングに大わらわです。 今までゆっくりしたペースで進んでいたのに急激に出来上がってきます。 私たちも作品の微調整が終わり、会場前の芝生に集まります。 ごこから集まったのか、いつの間にか観客が2−300人になっていました。 ディレクターのミロシュが、おもむろにその前に立ち、展覧会の内容を説明し、 私たち招待作家を紹介しました。その後、観客は会場を回り始めます。 そして、展覧会が静かにスタートしました。
[10] Sat Aug 30 06:22:15 JST 1997 SASA
希望のスポットライトは結局手に入れることができませんでした。 やはり、スペースを変更することにしました。 そこは、地下の氷の貯蔵庫だった場所で、ドーム型の煉瓦壁の白い部屋です。 最初の部屋から比べるとだいぶ小規模になりますが、 今回のマテリアルのレベルからすると適当な大きさです。
機材をみんなの協力で運び、ようやくセッティングを終えることができました。 そこでも、希望の光量には至りませんが、最初の部屋に比べるとずいぶん効果的です。 まあまあの作品には持っていくことができました。オープニングに何とか間に合いホッと一息です。
click!

[9] Sat Aug 30 06:21:24 JST 1997 SASA
小田さん到着です。 食料を頼んでいたので、大荷物でやってきました。マスターが事前にキュレーターに 頼んでおいてくれたので、有地のベッドは新しくきれいにメークされていました。 夜、一緒にバールに出かけたのですが、そこでチェコの作家に今回のトラブルについて 質問されました。今回のことは、だいぶ噂になっているようです。 どうも、機材について私たちがわがままを言っているように誤解されているようで 、この誤解は作品完成とともに解けるのでしょうか。 否、作品が完成できるのでしょうか・・・(汗)
[8] Sat Aug 30 06:20:25 JST 1997 SASA
心配していたとおりになりました。 やはり、用意された照明器具ではパワーが足りず、思った効果がでません。 ミラーボールの位置を変えてみたりしましたが、やはりだめです。 有地は時間切れで、最終の出来上がりを見ることができずに帰国しました。 いまは、希望しているスペックの器具の再要求と、それができないときの場所の 変更を検討しています。 それにしても出発時の有地は無念そうでした。

[7] Fri Aug 29 06:34:37 JST 1997 SASA
今日、イギリスのウェールズからコレクターで友人のドクター小田が 到着します。食料の差し入れをたのんだので、スパイス・秘缶詰・スープストック ・醤油・豚皮の唐揚げ・ポテトチップスを差し入れに持ってくると ファックスが入っていました。 豚皮の唐揚げとポテトチップスはマスターがバーで使うと予約が入ってしまいました。 3時半ごろ、駅まで迎えに行かなくてはなりません。
[6] Fri Aug 29 06:24:21 JST 1997 SASA
昨日、27日に照明器具が揃うはずだったのが、今日になり、 しかも器具のスペックも又変更。いまだ、材料が揃っていません。 有地は今日夕方五時頃プラハまで戻り、明日の朝の便で帰国するので すこし、ナーバスになっています。 昨日の夕食はトウモロコシ2本と豆腐のスモークスライスだけ。 ようやく修道院らしくなってきました。
[5] Thu Aug 28 01:34:58 JST 1997 SASA
今日ようやくミラーボールの設置が出来ました。 天井に穴を開け天井裏からワイヤーを吊るのですが、その作業がなかなかたいへんでした。
私たちが選んだ部屋はメイン会場である修道院の倉庫ではなく(ここの迫力は後に 写真をアップすると思いますが)隣の教会の一室です。そこは、16メーター*32メーター ぐらいの広さで、なんと天井高が16メーターほどある大スペースです。 私たちはワイヤーを吊るために、その天井裏に昇るわけですが、上がってみるとそこには、 30センチぐらいの埃がたまっていたのです。この教会は18世紀建造されたものなので、 ということは300年分の埃・・・。 そこを、そのへんの板きれで掘って板にドリルで穴を開けるのが大変なこと! 辺り一面埃が舞い上がり、体中真っ黒け!!という具合でした。
この部屋は教会の食堂に使われていたということで、部屋の正面には大きな十字架の 跡が残って大変無惨な印象を醸し出しています。聞くとその十字架は大英博物館にあるという ことでした。周りには大きな絵画が架かっていた跡もたくさんあるのですが、その絵画も略奪さ れたのでしょうか。 そのようなスペースで作品を発表することに何とも言えない想いがわき出てきます。

関連記事