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「原子力は夢のエネルギー」

浜岡原発が語る原発の耐震性

20 Aug 2012


「原子力は夢のエネルギー」
そう、そしてそれは悪夢だった……。

耐震設計基準の履歴

「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」は1978年に初めて策定され、 その後 1981年、2001年に改訂された。これをここでは「旧指針」と呼ぶ。 2006年に大幅改訂されたものが現行のものとなる。これを「新指針」と呼ぶ。 2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)と福島第1原発の事故を受けて、現在その見直しがされている。 福島第1原発の1-4号機は 1971-78年の運転開始だから、この「指針」が策定される以前の設計ということになる。

浜岡原発1-5号機の運転開始時期は 1976-2005年。 その間に耐震設計基準も変遷する。 原発の耐震性と、その「余裕」をめぐって、浜岡原発に焦点を当て追ってみる。

浜岡原発と東海地震の想定震源域

浜岡原発建設時の設計基準

浜岡原発1-2号機(1976-78年運転開始)設計時は上記「旧指針」策定前だが、基準地震動は 450ガルとした。 3-5号機(1987-2005年運転開始)は上記「旧指針」のもと、その基準地震動は 600ガルと、大きく引き上げられた。

想定東海地震と浜岡原発訴訟

これまでも浜岡原発近くに東海地震が起こりうるとされていた(想定東海地震)。 2001年、国の中央防災会議は想定東海地震を見直し、発表した。 これによると見直された震源域に浜岡原発がすっぽり入ることとなった。

2002年、市民団体により浜岡原発の運転差し止めを求めて申し立て、その後訴訟を行った(浜岡原発訴訟)。 静岡地裁は 2007年、この請求を棄却、原告は控訴。現在は東京高裁での審理が続いている。

耐震裕度向上工事

上記の浜岡原発訴訟では「耐震安全性は確保されている」と主張した中部電力だが、 2005年に突如、「耐震裕度向上工事」の開始を発表した。

浜岡原子力発電所は、想定東海地震(マグニチュード8.0)を上回る安政東海地震(マグニチュード8.4)やこれを上回る地震(マグニチュード8.5)を踏まえ、600ガルの地震動(岩盤上における地震の揺れ)に対しても、耐震安全性を確保しています。

しかし、東海地震が想定される地域で浜岡原子力発電所を運営している当社としては、最新の知見を反映し、その耐震裕度を向上させていくことが重要であると認識しています。2001年7月から開始された国の耐震設計審査指針改訂の審議を契機として、2005年1月28日、自主的に各号機で耐震裕度向上工事を実施することを公表しました。 (中部電力ホームページ)

どうも奇妙だ。すでに充分な耐震安全性を確保しているというのに、耐震補強がなぜ必要なのか。 その疑問をかわすため、足らざるを補う「補強」ではなく、耐震「裕度向上」と呼んでいる。 3-5号機設計時の基準地震動 600ガルに対し、1000ガルに耐えることを目標とする、3-5号機の合計で数百億円の大掛かりなものだ。

また、規制庁(原子力安全・保安院)から求められたのでもなく、「自主的に」行うという。 折しも国の耐震設計審査指針改訂審議は最終盤を迎え、翌2006年には「新指針」がまとめられるはずだった。 なぜこのタイミングでの「耐震裕度向上工事」なのか。

平成13年(2001年:引用者注)に国の中央防災会議が最新の知見に基づき想定東海地震の地震動を見直しました。  当社は、この地震動を用いて解析評価を行い、1~5号機の耐震安全性が確保されていることを確認しました。 (2005年1月17日 中部電力のプレスリリース)

たぶんこのとき、中央防災会議が見直し公表した想定東海地震の地震動を入れて計算すると、 基準地震動は 600ガルではなく 800ガルとしなければならないことが判明したのだろう。 後に「新指針」を受けてのバックチエックで基準地震動は 800ガルに修正されている。

いっぽう静岡地裁で浜岡原発訴訟の審理は判決を目前にしていた。 そのこともあって、「裕度向上」は待ったなしの状況だったのだろう。

「新指針」と新潟県中越沖地震

原発と地震

2006年、「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」が大幅改訂された。ここでいう「新指針」。 既存の原発も「新指針」によるバックチェックを受けることになる。 さきに記したように浜岡原発の基準地震動は 800ガルに修正された。

翌 2007年、新潟県中越沖地震が柏崎刈羽原発を襲う。 設計時の想定地震動はおろか、「新指針」で見直された基準地震動をも超える揺れがこのとき観測された。 冷却系統の一部が自動では動かずに手動でカバーするとか、変圧器で火災が起こるなどの事態となった。 故障箇所は 3,000ヶ所を越えるという。 柏崎刈羽に7基ある原発のうち3基はこの地震以来5年を経ても、いまだ復旧できていない。

設計基準を越える揺れにより故障は多発したが、ともかく大きな放射能モレもなく(ただし使用済核燃料プールの水が溢れ、一部は海に放出)安全に停止することができた。 このことは幸運でもあり、不運でもあった。 「新指針」への疑念が起きるいっぽう、それを超えたとしても「炉心溶融など過酷事故には至らないだろう」という、根拠の無い過信が生まれた。

柏崎刈羽原発はまさしく薄氷を踏んでいた。 にも関わらず逆に「日本の原発では過酷事故は起こらない」という安全神話の補強材料にされた。 しかし、専門家はその危うさもじつは知っていた。

安全余裕

我が国では近年, いくつかの原子力発電所で設計想定を越える大きな地震動が発生しましたが, 地震による原子力発電所の被害は軽微であり, 原子力発電所の安全は確保されました。 それにもかかわらず,地震後, 国民の間では設計想定を少しでも超える地震動が発生すると原子力発電所の多くの設備が損傷するのではないかという懸念が広がりました。 (「原子力発電所の設計と評価における地震安全の論理」の「まえがき」より 2010年7月 日本原子力学会 原子力発電所地震安全特別専門委員会)

ほんとうのところ(柏崎刈羽原発で7基中3基が復旧不能という)被害は「軽微」とは言えないのだが、過酷事故には繋がらなかった。 便宜のためこれを略して「壊れなかった」と呼ぼう。 想定地震動では壊れないことを設計目標とし、それを確認もしているはず。 逆に言うと、それを超える地震動で壊れないことは設計の目標でもなければ確認もしていない。 だから壊れても不思議はない。 でもじっさいには「壊れなかった」。なぜか?

答えはもちろん、運が良かっただけだ。 それでは愛想がないので、それをどう説明するのか。 それが2007-2010年にわたり40人を超える学者・専門家を集めてのこの委員会の目的だった。 ちなみに委員長は斑目春樹博士(現原子力安全委員長)。

日本原子力学会という「学会」の下に設けられた委員会の報告書だから、学術的文書のはずなのだが、 本文中にはおよそ科学的とは言えない文章が続く。挙げているほんの3回の経験で「確認できた」り「裏付け」されたと言明できるものだろうか。

「(じっさいの地震で基準地震動を上回る地震動が観測された3つの例を挙げて)原子炉は設計通りに冷温停止状態に移行・維持され, 重要な安全機能にも支障はなかった。 これらの経験から,…(基準を)ある程度超える地震動に対しても…安全確保に繋がることが確認された。 これは…(耐震設計に加えて構造設計上の余裕で)十分な余裕が取り込まれるため, 基準地震動を超えたからといって原子炉の安全を確保するために必要な設備が直ぐに損傷するわけではないことを裏付けているものと言える。」 (既出「原子力発電所の設計と評価における地震安全の論理」p1。強調と括弧内の要約は引用者)

この報告書が正しく述べているように「安全余裕」がそれを救ったのだが、「安全余裕」あるいは「安全率」というのは科学的には不明の部分。 それはこの報告書自身が使っている「確率」の世界。 言葉を代えれば「運が良かった」ということに尽きる。これまでは無事だった。しかしいつも無事である保証は無い。

1-2号機の廃炉

浜岡原発の「耐震裕度向上工事」はまず3-5号機で始められ、次いで1-2号機でも行われるはずだった。 しかし古い設計のものを手直しするには金が掛かりすぎると、中部電力は 1-2号機を廃炉、代わりに6号機を新設することを2008年に決定した(6号機の新設は現在保留)。 柏崎刈羽の教訓を正しく受け止めた決断だろう。

翌2009年1月30日、1-2号機は運転を停止した。 商用炉としては1998年から廃炉に着手した東海原発(1965年運転開始)に次いでのこととなる。 廃炉費用には約900億円を見積り、完了は2036年ごろの予定。

静岡沖地震

2009年8月11日、静岡沖地震が発生。地震当時運転中だった4号機と5号機が緊急停止した。 3-5号機は前年までに「耐震裕度向上工事」を終えており、1-2号機はこの年の1月に廃炉へ向けて停止したところだった。 浜岡原発はまさしく間一髪のところで救われた。めでたしめでたし。しかし、喜んではいられなかった。

「新指針」のもとで見直された基準地震動 800ガルに対して見れば「耐震裕度向上工事」は過剰とも思われる 1000ガルに耐えるものとした。 ところが、その 1000ガルをも超える揺れを5号機でこのとき観測したのだ。 地震後の5号機の総点検と復旧には1年半を費やした。

東日本大震災

そして 2011年3月11日を迎える。 このときも福島第1原発と第2原発、女川原発などで基準地震動を超える揺れを観測している。 幸いにして今回もすべての原発が安全に停止した。 しかし残念ながら福島第1原発1-4号機で全電源喪失となり、1-3号機の炉心は溶融した。 すさまじい津波のために。

そうしたストーリーが喧伝されているが、どうだろうか? もしジーゼル発電機が津波を被っていなければ、事故は異なる推移をしただろう。でも、その場合に炉心溶融に至らなかったという証拠は何もない。

浜岡原発の停止

福島第1原発の事故は未曾有のものとなった。それでもまだ奇跡的に小さく済んだほうだ。 最悪のケースならば首都圏3,000万人が避難しなければならない事態が予測された。 じっさい米国は80キロ圏からの避難を自国民に指示。 東京にあったフランス、ドイツの大使館はその機能を在大阪の領事館へ一時移転した。

ふたたび同様の事故が他の原発でも起これば、日本沈没となる。 地震国日本ではどこで起こってもおかしくないが、中でもとりわけ危ないのはどこか。 2011年3月31日に日本共産党が菅総理大臣(当時)に申し入れた提言では、 浜岡原発の停止、老朽原発(40年超え?)、高速増殖炉「もんじゅ」など核燃料サイクルの中止を挙げている。 浜岡原発については即時を意味する「停止」と、別格扱いで、それほど危険が認識されていたのだろう。 浜岡で事故が起これば首都圏が挟み撃ちになる。 ともかく政府は浜岡原発の停止を要請、中部電力はこれを受けて 2011年5月14日、浜岡原発の全号機を停止した。

政府による浜岡原発の停止要請には米国からの圧力なども憶測されているが、真偽は定かでない。 海江田経産相(当時)が浜岡原発を緊急視察、「地震対策は適切に講じられているが、津波対策が不十分」で、 防潮堤の設置に2-3年掛かる。ならばそれができるまで止めてもらおう。 そういう話になっているようだが、私には浜岡原発が地震に対して万全とはとても思えない。

この地にはもともと原発を作ってはならないのだった。 地震についての知見が進むにつれ、想定地震動は、450ガル→ 600ガル→ 800ガルと、 次々改訂されてきた。 それに合わせ十分過ぎるとも思える 1000ガルに補強もしてきた。 しかし自然は人智を軽々超えて来た。

津波についても、当初 +6mを想定していたが、現在 +18mの対策を工事中。 ところが、最新の知見では +21mの可能性があるという。

神のみぞ知る


日本共産党井上哲士議員が2012年7月10日参議員予算委員会で使ったフリップのひとつ

事情は浜岡に限らない。 ほとんどの原発は「新指針」以前、多くが「旧指針」以前に建設されている。 たいていはもっと小さい地震動(300-450ガル?)を想定して設計されている。

その後に想定地震動は見直されているが、浜岡のように大規模な補強工事は行っていない。 ちょっとした補強と、たいていは計算だけで「バックチェック」して足りたとしているものがほとんどだ。 その「バックチェック」すら終わってないところもある。 ところで、その「新指針」下で見直された想定地震動さえ 2006-2011年の5年間で3回超えられているという事実。

いま「ストレステスト(1次)」が実施され、それぞれの「安全余裕」の数字が報告されている。 これらを見ていると、とても「余裕」があるようには見えない。 たぶん設計時には余裕があったのだろう。 それが見直しによって想定地震動が上がったために、差し引きの余裕の部分が圧縮されてしまったというのが実状だろう。

日本国中いずれの原発も、いつ壊れてもおかしくない。 なにしろ想定を超える地震は5年に3回くらいの頻度でやってくる。 それが過酷事故に至るかどうかは神のみぞ知る。 現在、大飯原発3-4号機が稼働中だが、関係者はその危うさを知っているはず。 彼らは誰を神として祈っているのだろうか?


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