江漢の油彩画『相州鎌倉七里浜図』を1796年秋、芝の愛宕江山で見たらしく、翌1797年、これにヒント を得て狂歌本『柳の絲』に「江島春望」を描いた。遠く富士を望み手前の波というこのモチーフと構図に 北斎はこだわり続け、終には1830年ごろに、あの『神奈川沖浪裏』に至った。というのです。このカタログでは構図の変遷を図版で説明していますが、江漢の画からモチーフや遠近法のヒントはいただくが、富士を飲み込む大胆な構図へと独自のものに創造していくところは北斎の面目躍如です。
江漢:相州鎌倉七里浜図(1796年) ↓部分 |
北斎:『柳の絲』江島春望(1797年) | |