北斎画と落款・印象のある「魚貝図」
図版は
北斎没後150年展−東西の架け橋
カタログより
本物ならば北斎ただ1点の油絵となるだけでなく、画布に描かれた油絵としては日本最古のものとなる。
以下はこの絵をめぐって、
シノバーPartRroomで交わされたMasterと七夕氏の会話を纏めたものです。
Masterは海外旅行のさいはいつも北斎の「「凱風快晴(赤富士)」Tシャツを身に付けていくという大の北斎ファン。
七夕氏はさきの国際北斎会議にも出席した美術家。
Master
見ましたよ!例の「魚貝図」。
あれは北斎としか思えないのではありませんか?
図柄・モチーフが日本人のセンス。オランダ人が真似たとすればその本となる絵がなければならないが、あんな日本画も無い。センスは真似できないでしょう。
七夕@tanabata
北斎真偽の油絵ですね。私には確証がないですが絵の印象では、
西欧静物画風に北斎が描いたとしたら、それは実は北斎の個性的に優れた線描写力を
殺していると思うのです。だから、北斎は一枚西洋風立体表現を描いてみたかった。しかし、
一枚しか残していない!好奇心のための試しだったから? そう推測して楽しみました。
Master
好奇心のための試しだったから<それがいちばん良い解釈なのでは。
「鰈にめばる・さより」
|
七夕@tanabata
同じ北斎の静物画でも、「鰈にめばる・さより」とか肉筆画帖
のほうからの作品を会場で見ましたか? もう、すぐれた感性ですよね。
Master
いや〜北斎には参ったまいった。・・・です。
七夕@tanabata
化学分析とサイン筆跡・シールの鑑定を、取り巻きのアカデミズム・専門家が
ぜんぜん公表しないか控えている。これは、なにかありです。(笑)
真贋をあきらかにしないまま、議論・謎として保存し、ずっと、北斎ネタで
彼らがぐるぐるとまわって、「めし」を食うためなんだと私は思います。
本物なら一枚しかないのでなおさら。贋物なら、さんざん振り回しておいて、あとで
「やっぱにせもんでっせ」と遊べる。国際北斎会議ではすぐれた発表もありましたが、
概して専門家集団の姑息な、
お仲間戦略ってのがちょっと社会勉強(?)になりました。
Master
「鰈にめばる・さより」と「魚貝図」の共通点は魚が笹の葉の上に置かれていることと、彩色の順序が同じみたい。
七夕@tanabata
Master、よくみてますね。ちなみに、カタログは品質たかいですよね。
こればっかりは、感心してます。北斎への愛を感じる。>企画者編集者
「魚貝図」(部分)
|
「福寿草と扇面」(部分)
|
七夕@tanabata
「魚貝図」の皿の模様が、表面の形態にそって正確に描かれているのに対し、
「福寿草と扇面」の盆栽小鉢の模様の描写の比較はいかがです?Master。
これ、北斎が意識を使い分けていたとしたら、本当に絵画本質の違いを北斎が
理解していた確証になります。
Master
北斎が意識を使い分けていた<が正解だと思います。
七夕@tanabata
すると、本当に北斎はすごすぎる超一流の日本近世の画家です。
しかしずっと見てると、北斎のもう一つの特徴である
すぐれた構図・構成力をこの油絵には私は感じないのが、気になります。
しかし、平面画面構成の感覚(絵づくり)から、立体写実描写に意識が移ったとき、
北斎といえども初の試みで、そのいつもの構図と空間把握を最初から正確に出来たとも考えにくいし。でも、魚の影、皿の影とかだけは妙にうまい
*1。画面上方になにもない
間(ま)をひろめにとって、平面上での空間感をだす手法は、日本の絵づくりだし。
どれもこれもハイブリッドな妙な妙な妙な油絵です。
(*1 光源の意識とは西洋科学的意識の所産で実は輸入もの。東洋には地に落ちた人やものの影を絵では省略、あるいは描かない。画題の内容・思想・気に集中するので、それらを一般に意識しないのです。これら東洋の画法が、19世紀の後半のヨーロッパの画家らに恐るべき衝撃と影響をあたえ、西洋絵画伝統の立体写実描写の呪術から近代芸術家をたまたま救ってしまった。
)
あと、紙面にはよく「北斎筆」とあるが、この油絵には「北斎画」となっている。
画狂卍北斎老人本人ではなく、北斎の弟子あたりのあそびではないか?
やっぱり、わかんないですね。ロマンはあるけど、個人的にやっぱり「?」です。
Master
いずれにせよこの絵は当時の日本人が日本で描いたものであることはまず疑いない。
ならば北斎以外にだれが描けたのか?・・・これだけ器用な弟子がいたでしょうか?
構図はあまりに単純ですね。
北斎が西洋画法に挑戦した、しょせん習作みたいなものだと考えればいかがでしょう。
北斎は特定流派に止まることなく、いろんな流派を研究し、批判的に取り入れている。西洋画法についてもそういう姿勢だったと考えると自然です。
七夕@tanabata
その貪欲な学習力は、他の絵師のやっかみを受けることにもなったようですが、
考えてみると、天賦の描写力、眼力、好奇心、長寿、もうピカソと同じですね。(笑)
Master
そう、ピカソ。日本の浮世絵師の中でも北斎はずば抜けてます。
七夕@tanabata
私の個人的印象ですが、女性肖像とですね植物静物画ではね、喜多川歌麿の線は
あの時代の絵師で北斎よりぬきでているかもしれません。しかし、それ以外の画題、構図を
総合して判定をするとやはり、北斎の強さは並々ならぬものです。
私は、筆を持たない美術作家ですが、彼らの好奇心の豊かさ、広くやわらかいヴィジョンはあやかりたいです。
Master
ピカソの言葉とされるものに・・・
芸術家が他人の真似をするのを恥じることはない。
芸術家が最も恥ずべきことは自分の真似をすることだ。
と、北斎にも通じるこの積極姿勢を芸術家に限らず見習いたい。
七夕@tanabata
吸収してそれを越えれば勝ちという考えですね。これは、芸術家の仕事のみならず、
他の学術研究、文学、ビジネス、彼氏彼女とのおつきあい、なんでもそうですね。(最後はちょっと違うか(笑))
Toulouse-Lautrec, Jane Avril (1893)
|
葛飾北斎、富嶽三十六景より神奈川沖浪裏 (1830ごろ)
|
七夕@tanabata
Masterの「北斎との出会い」とはどんなものだったのでしょう?
Master
趣味の写真の勉強にと、絵画を見たんです。ドガとかロートレックの大胆な構図が参考になりました。
ところが、それら印象派以降の連中は日本の浮世絵の影響を受けていた。
そういう風に探っていって北斎に行き当たるわけです。
海外に行くときはいつも「赤富士」のTシャツを着ていきます。
七夕@tanabata
葛飾北斎(1760-1849)の生きた江戸後期は、鎖国中といえども、長崎その他から
西洋の情報が、現代我々の想像以上に入ってきており、当時の武家、医師、知識人のみならず庶民の
外への好奇心を大いにあおったようです。これは、戦国時代中からの京の都もおなじようでして、
どこかの鉄道会社の宣伝ではないですが、まさにエキゾチックじゃぱんは昔っからの話。
むしろ、文化混合のようすとしては、敗戦後からの日本人の方が病んでいる。これは、強く意識
したほうがいいと、お節介ながら、ここで主張してしまう。(失礼)
Master
皿の模様だとか落ちた蔭など、さしもの北斎でも描けたはずがないという議論もありますが・・・。
当時オランダ商館が北斎工房に絵を依頼しているのは事実ですから、
オランダの静物画が北斎のもとに持ち込まれたこともほとんど確からしく想像できる。
見本があればその真似をするのは容易ではなかったか。
ただ北斎はそういう画法を好まず、その後使わなかったとすれば説明がつく。
七夕@tanabata
数ある絵師のなかで、とりわけ、北斎に突出しているものとは、その描写力、作品数、寿命のみならず、
その画題の豊富さと好奇心、自由な探求、ダイナミックな視点・構成と共にほほえましい、かわいらしい、こっけいなものもあわせて
愛でる視線をその卓越した筆跡に、今の私たち(世界中の人も)が見入ることが出来る点にあります。
そういった残された作品から、北斎の頭の中、彼の生きた時代、人生をちょっと探って今日活きることの参照として
楽しんでいるのが、北斎愛好家研究家ファンのようです。おもしろいですよ。
関連記事