「原子力は夢のエネルギー」
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玄海原発をただちに再稼働しなければならない理由

19 Sep 2011 加筆 (29 Jun 2011 初出)

「原子力は夢のエネルギー」
そう、そしてそれは悪夢だった……。

玄海原発は突破口

いま玄海原発を再稼働しなくてはならない理由など無い。九州電力によれば、玄海原発の再稼働が遅れても、この夏は乗り切れるとしている (九州電力 2011年6月9日「今夏の需給見通しについて」)。 全国的に見ると関西電力のほうが深刻な悲鳴を上げている。 政府が玄海原発の再稼働を急ぐのは、地元の抵抗がもっとも弱いと見たからだ。 すでに玄海町長は再開受け入れを表明している。 そういえば2009年12月、日本で初めてプルサーマルの営業運転を開始したのも玄海原発だった。

全国に定期点検終えたとする原発がいくつかあるが、いずれも地元の理解が得られずに再稼働できないでいる。 「安全は確認できた」と言われても、依って立つ安全基準の不備が認められて、その見直しは始まったばかり。 福島第1原発の事故を教訓にというところだが、事故調査委員会も活動を始めたばかりだ。 そもそも事故の収束が見えず、現場は近づけないところがほとんどだから、調査も進められない。 東電の工程表でも冷温停止は10月〜年明けとなっている。 地元の求める、福島第1原発の事故解析を反映した安全基準にもとづく安全確認をとなると、1~2年掛かるだろう。

「地震では壊れなかった」?

経産省は過酷事故に至った原因を津波とそれによる全電源喪失に限り、「緊急対策」を施してそれでよしとすることにした。 しかし地震もこれまでの耐震基準を超えたことが分かっているので、それは要因ではないのかという不安がある。 じっさい配管やら測定器やらことごとくがこわれている。しかしそれは地震によるものかどうか、現場は詳細な調査ができる状況ではないから、この疑問には答えることができない。 で、どうするかというと、重要な装置についてシミュレーションを行い、計算上では地震で壊れなかったはずと結論する(2011年6月17日、東京電力「福島第一原子力発電所における東北地方太平洋沖地震の観測記録を用いた地震応答解析結果に関する報告書等の経済産業省原子力安全・保安院への提出について」)。 はて、計算上なら、過去あちこちで繰り返されてきた事故の数々も、そのほとんどは起こらなかったはずだ。 また福島第1原発の事故当初の記録によれば、主復水器の異常や複数の配管の洩れが地震直後に発見されたと記録されている。

定期点検に入る原発はつぎつぎ控えており、このままだと来年春にはすべての原発が停止する。 今年の夏はしのげても、年明け1月の電力需要ピークを乗り切れるのか、来年の夏はどうなるかということになる。 なので経産省はあせっているようだが、ほんとうのところ、どれほど差し迫っているのだろう。

すべての原発が止まっても停電は起きない

電力会社が作る資料はいつもいい加減なので、資源エネルギー庁の統計を用いる。 記録的猛暑だった昨年2010年8月の最大電力需要は全国合計 1億8023万kW。 これに対し2011年3月の発電所認可出力は全国合計 2億2848万kW。 これから原子力 4896万kWを引くと 1億7952万kW。 この中には休止中のものもあるだろうが、書類から消えていないということは再開の可能性はある。 すべての原発が止まると 71万kW足りないという計算になる。 これとは別に自家発電設備は全国で 5407万kWある (2010年9月末現在。当初発表の数字は 6037万kWだったが、今年6月になって修正された。) 。自家発電の実態を解析する必要はあるが、たぶん余裕で足りるだろう。

20 Jul 2011 加筆
政府は2011年7月19日の閣議で、「埋蔵電力」として国会などで指摘された自家発電について、そのうち 160万kWが使用可能との答弁書を用意した。 この数字は7月4日に経済産業省が管総理に報告したものという。山内康一衆院議員の質問主意書に対する回答 (日経7月20日)(電気新聞 2011年7月13日)
この160万kWを加えると1億8112万kW。 昨年2010年8月の最大電力需要の1億8023万kWは越えるが、予備率 0.5%。 安心できるために 5%の予備率を確保しようとすると、あと 800万kWほど上積みするか、その程度の節電が必要となる。

「電力の安定供給を原子力が担っている」という幻想

なので、停電は起こらない。 すべての原発が停止することで停電が起こることを恐れているのではなく、経産省がほんとうに恐れていることは、 すべての原発が止まっても乗り切れてしまうことだ。 原発の安全神話が崩れたいま、「電力の安定供給を原子力が担っている」という幻想をも消えてしまうこと。それこそがもっとも恐れることなのだ。

19 Sep 2011 以下追記

なぜこんなに余裕があるのか

Trend of the electric power capacity and the maximum usage

過去から現在まで原子力を除いた発電能力を最大電力が超えたことはない。このことは藤田祐幸博士が作成したグラフ(右図)が一目瞭然。 発電能力には自家発電も含めているので若干の注意は必要だが、大筋正しく、2010年の最大電力ピークのデーターを加えても結論は変わらない。

このグラフをよく眺めてみると、「日本の経済成長と電力需要の増大を支えるために原子力が必要だった」とは言えないようだ。

原発の建設が始まる70年代後半はというと、日本の高度経済成長はすでに終わっており、また2度の石油ショックを経て企業の省エネルギー化も進んだ。 結果、電力需要の伸びも鈍化してきている。いわゆるバブル経済がはじけた90年代以降も総電力需要は微増しているものの(オール電化などの需要拡大と同時にピークシフトも進んだ)、 ここで問題にしている最大電力はほぼ頭打ちとなっている。 そこに原発がどんどん建設されるのだが、原発だけでなく、同時に水力も火力も建設されている。なぜだろうか?

建設される水力の多くは原発に付随して必要な揚水発電だ。 なぜかというと、電力需要の減少する夜間には止めるというような小回りは原発にはできない。 そこで余った深夜電力を貯めておく揚水発電がセットで必要となる (文部科学省委託事業「あとみん」情報の説明, 関連図)。 また、原発はちょっとしたトラブルで停止して、その復旧に長期を要することがある。 それでは安定供給責任の問題になるので、バックアップとして火力発電所も必要となる。

だから原発を止めても供給能力はある。 むしろ原発を作れば作るほど、発電能力は過剰になるのだ。 こういう事実を見ると、そもそも何のために原発は作られてきたのかという疑問が湧いて当然だ。

もしかして、こういう話? goto 原発から原爆を作れるか


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