一夜を共にした翌朝だろうか、彼女の部屋のキッチンで彼氏が朝食にホットケーキを焼いている。 彼氏とのラブラブの生活をビデオにしたって? そんなもの見たくないぞ! なのになぜか見入ってしまう。我々は何か騙されているのだろうか?
このビデオはフィクションではなく山本香が彼氏との実際の「甘い生活」を 自身で記録したものである。そう言うと自分をさらけ出した「私小説」か、 あるいはドキュメンタリーかもしれない。しかしながらどうもそういうものではないようだ。 二人の生活がさらけ出されているのかというと、そうでもない。 「甘い生活」とはいえ喧嘩することもあるだろうし、部屋だって散らかされていることがあるだろう。 でもこの映像現れるものはことごとくが「きれい」。きれいごとで終始しているのだ。 実際の生活を記録しているはずなのに、なにか作りものっぽい。
そう、これは作りもの、「作品」なのである。 そうでなければインターネットでよくある女の子の部屋の覗き映像と変わらない。 分析すれば緻密に計算されて編集されていることが分かる。 素材は確かに演出なしの記録映像だが、巧みな編集が入っているということでは作りものなのだ。
作りものであるのにそう感じさせないトリックのひとつは 特に前半に目立つぎこちないカメラワークにある。 このカメラワークは素人ビデオのそれと思わせてしまう。 じっさい山本香がビデオカメラを持つのは今回が初めてで、 ビデオに関して素人なのは本当である。 しかし騙されてはいけない! 山本香はスチル写真ではプロなのだから。 本当の素人ビデオならとても見られたものではないだろう。 しかしカットのひとつひとつはプロのそれであり、たいへん美しい。 見入ってしまう理由のひとつはここにある。
もうひとつのトリックは見せているようで見せていないということにある。 冒頭の素人ビデオっぽいところが、実録であることを印象付けており、 だから赤裸々な映像を期待させてついつい見てしまうのだが、それは裏切られる。 現れる映像は優しそうな彼氏の顔、可愛い猫、こぎれいな部屋、ベランダの緑と、 女の子が夢見る幸せな生活をイメージさせるアイコンで満たされている。 しかしそれはきれいごと過ぎる。なにかが隠されているようで、 観客はそれをなんとか見ようとして映像の細部に注意してみたり、 映像の裏に隠されているものを想像で補おうとする。
このビデオにはストーリーが無い。 脈絡の無い映像が流れ、終盤しばし無音のあと リストの甘いピアノ曲が流れはじめ、河原での口づけのあとじゃれ合って踊り、 『オーシャンゼリゼ』を高らかに歌って突如完結する。 実はこのストーリーの無さもトリックなのだ。 ビデオに現れないストーリーはけっきょく観客自らが作ってしまう。 暗転のあともピアノ曲は続きスタッフロールが流れる中、 観客はまるでドラマの余韻を楽しむかのように席に釘付けされる。 このとき観客はの心の中に自らが作り上げたドラマを噛みしめているという仕掛である。
山本香の前作『愛の部屋』では作者がいかにも意味ありげな女性に扮し、 スチル写真でありながらストーリー性を感じさせる。 事実作者はその物語の一部をテキストでも語っている。 前作『愛の部屋』と今回の『あまい生活』とが対照的なところは その愛の形が前者では翳を帯びたものに対して後者は明るいものであること、 前者で作者は演じているのに対し後者では演出なしの実録であるということが目立つ。 共通点はともに「愛」をテーマにしているということはそうなのだが、 両者に共通する山本香の制作姿勢がある。 それは彼女の作品は作者の思いを伝えるものではなく、 作品と対峙する観客の中に反応を起こさせること、 彼女の言葉によれば観客が自己を投影する「鏡」を作ることだそうである。
あなたはこのビデオ作品『あまい生活』を見て何を想うだろうか。