豊嶋の初期の作品、「鉛筆」シリーズは鉛筆を削るという日常の行動を模しているとともに、彫刻(木彫?)の形式を踏んでいるとも言え、また出来上がった「作品」は視覚的にも奇麗です。電子レンジに入れて作った「定規」シリーズも「彫刻作品」と言えないことはない。 しかしどちらも日常の何気ない規範を突き崩してしまうという、形を超えたところに重要な意味を含んでいます。

銀行というシステムの中に自分の(バーチャルな)スペースを確保するという「口座開設」シリーズや、 今回の「振込み」ワークショップはもはやその「作品」としての形を失っており、CASに展示される通帳や振り込みカードなどは視覚的に何ら「美しい」ものではありません。

豊嶋の'art work'について「仕事」を訳語として充てることができるかもしれない。 CASで開催中の展覧会も作品の展示(exhibition)よりも 豊嶋の芸術活動(art work)の紹介(presentation)と呼ぶほうが良いのかもしれません。

さて、これが 'art work'なのでしょうか? 今回CASで展示されている通帳は10冊だけですが、豊嶋はこのシリーズで47もの口座を開設しています。 私も銀行口座は3つ持っていますが、日常生活のためであって、47の豊嶋の口座がそれとはまったく違うものであることは確かです。 これを 'art work'と呼ぶか、口座「マニア」と呼ぶかは議論されるところでしょう。

豊嶋康子流、自己表現

> 参加者というか鑑賞者との交換行為が「作品」を成立させるのだという、
>いわば芸術への言及としての側面が評価されてるんじゃないのかしら。

そう捉えることもできます。そこに着目する方もおられるでしょう。 実は今回の「鑑賞者との交換行為」はCASからワークショップをお願いしたことがきっかけで行われるものです。 もともと豊嶋の「振込み」シリーズは豊嶋自身が開設した40いくつの口座間でやりとりを続けるというものでした。

銀行のシステムの中に自分のスペースを作る「口座開設」、 そこに自分の行為を記録させる「振込み」、 さらに鑑賞者との交換行為を組み込んだ今回のワークショップと シリーズは展開していきます。

こう見ていくとその軸は自己表現にあるようです。 ただ自己の表現というのも、他者との関係というのが最初から組み込まれている。 すなわち自己を表現するのに銀行という社会システムを使っているということです。

自己の表現というのは近代における美術の要素です。 しかし豊嶋は自己を表現するのに他者を使います。 銀行を使ったものもそれですが、他者による自分への評価の記録「表彰状」のシリーズもそうです。 近代の「自己」に対する問い直しというものも豊嶋作品は突きつけています。

6 Mar 2000
M.Shino, The Bar Master

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